2008-01-01から1年間の記事一覧
永田町界隈は唐突な福田総裁辞任劇でハチの巣を突いたような大騒ぎが続いているようだが、別に僕は、それは、参議院惨敗の後遺症を引きずる自民党にしてみれば、誰が総理総裁であろうと同じ事であって、突然の辞任劇等、あらかじめ予想されたことであり、し…
少しパソコンから離れた生活をしていると、パソコンそのものへの関心を失いそうになるものらしく、僕の場合も、原稿の締め切りや日常の雑用にまぎれている間に、あれほど固執し続けたブログによる情報発信を中心としたパソコン生活へのこだわりも、いつのま…
先ごろ、亡くなった赤塚不二夫ならば、僕としても、一目どころか二目も三目も置かざるを得ない漫画家で、それこそ「有名漫画家」なわけだが、小林よしのりと言うと、漫画家というより、政治かぶれの漫画家崩れ……とでも呼ぶべき存在であって、僕が小林よしの…
■コメント欄■ 二週間の田舎暮らしを切り上げて、久しぶりに家に帰ってきたわけだが、早速、手紙やメールなどをチェックしていると、例のマンガ右翼・小林よしのりが、話題がなくなったらしく、「SAPIO」の最新号で、小生を、「無名批評家」だとか、なん…
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■コメント欄■ ■芥川賞の政治学と新国民像の構築今回の芥川賞が、チベット問題や食品問題等、何かと問題の多い、波乱含みの北京オリンピックの開幕にピタリとタイミングを合わせるかのように、「大学受験、天安門事件との関わり、日本人残留孤児の長女との結…
■コメント欄■ 曽野綾子が「諸君!」連載原稿に書き加えたものは、そんなに多くないが、中でも目をひくのは、前回も書いたが、大江健三郎と大江健三郎の『沖縄ノート』の中の「罪の巨塊(巨魁)」記述と「スパイ視住民虐殺」記述に関する部分と、それに対する曽…
■コメント欄■ 前回の続きであるが、曽野綾子の『ある神話の背景』が連載されたのは「文藝春秋」のオピニオン雑誌『諸君!』の1971/10から1972/9までの12回だが、その連載原稿には、驚くべきことだが、大江健三郎の名前も、大江健三郎批判もどこにもないし、さ…
■コメント欄■ 1971年に、雑誌「諸君!」に連載された「ある神話の背景」の雑誌原文、つまり「曽野綾子『諸君!』連載原稿」の全文コピーが、今、僕の手元にあるのだが、それを丁寧に読んでいくと、驚くなかれ、肝心の大江健三郎の名前が何処にも出てこないどこ…
■コメント欄■ 曽野綾子は、何故、「罪の巨魁(巨塊)」問題について、一言も反論出来ないのか? 図星だからだろう。とは言いながら、この問題について、徳永信一、小林よしのり、池田信夫等は、雑誌編集部の校正ミス、あるいは引用者のミスというこで、つまり「…
■コメント欄■ 曽野綾子は、山川方夫の推薦で、山川方夫編集長時代の「三田文学」に発表した「遠来の客たち」で芥川賞候補になり、わずか23歳か、24歳前後の頃に、この作品で本格的に文壇にデビューしたといっていいが、ほぼ同じ頃にデビューした有吉佐和子と…
■コメント欄■ 三浦朱門の「妻・曽野綾子はうつ病に罹った時」とかいうエッセイを、今月号の「文藝春秋」(2008/8)で読んだが、それによると、曽野綾子の「鬱病」の発症時期とその回復のタイミングが、「沖縄集団自決取材」開始の時期と微妙に重なっていること…
■コメント欄■ 大江健三郎の『沖縄ノート』に「土民」という言葉が、括弧つきで使われているが、この『沖縄ノート』で使われている「土民」という言葉だけを取り出して、大江健三郎は沖縄現地住民を侮蔑的に「土民」と差別的な意味をこめて呼んでいると、反大…
■コメント欄■ 大江健三郎の『沖縄ノート』の中に、「屠殺者」という「差別用語」が使われているにもかかわらず、誰も、つまり差別言語告発運動を繰り返してきた差別反対運動の側も、この大江健三郎が『沖縄ノート』の中で使った「屠殺者」という言葉の使用を…
文芸評論家の富岡幸一郎が、産経新聞のコラムで、「沖縄集団自決裁判」について、「何故、文芸誌は沈黙するのか」と、「文芸誌の沈黙」を糾弾していたが、たしかにその通りで、「沖縄集団自決裁判」はその主役が大江健三郎であり曽野綾子であるということか…
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