文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西部邁と小林よしのりは「営業右翼」ではないのか?

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西部邁小林よしのりの対談集『反米の作法』を、近くの南浦和図書館で見つけたので、借りてきて、閑に任せて、今、読んでいるところだが、この二人は、今は決別しているらしいが、この『反米の作法』の頃は、随分親しかったらしく、意気投合した上に、二人がそれまで所属し、会の幹部、ないしは広告塔として八面六臂の大活躍をしていたはずの「新しい歴史教科書をつくる会」と、西尾幹二を初めとするその会の元同僚のメンバー達をことごとく槍玉に挙げて批判し、つまり対テロ戦争に踏み切ったブッシュを批判する「反米」派の立場からブッシュを支持する「親米」派としての西尾幹二等を厳しく批判した挙句、一転して、ここでもまた西部邁は、なんの恥じらいもなくその「左翼体験神話」をことあるごとにご披露した挙句、左翼学生運動体験の一齣一齣を自慢げに語り続けることによって、左翼から右翼への転向神話の補強に忙しいが、60年安保の激戦の一幕を語った後に、なんと自らを「元過激派」だったと呼んでいるのには、ちょっと驚いたというわけで、60年安保の頃の「東大指導部」を過激派とは言わんだろう、あれは部活に毛の生えた程度の学生運動であったはずだ、それ故に、ほぼ全員が無傷のまま、ものの見事に転向に成功して、西部邁を筆頭に権力側、体制側の人間としての地位を確立し、今や立場を変えて恥知らずにも再び表舞台で大活躍しているではないかと、一言、遅ればせながら口を差し挟みたくなった次第である。言うまでもなく、僕は、こういう「陽のあたる坂道」ならぬ「陽のあたる場所」を、学生時代から現在まで歩き続けている軽薄で尻の軽いお調子者が大嫌いであって、ましてや西部邁のように、元左翼体験を売り物に右翼保守陣営にもぐりこみ、元左翼の仮面をちらつかせながら保守論壇での地位を確立し、やがてその保守論壇を、いかにも元左翼らしく裏から左翼的戦略に基づいて経営・編集しようと画策する陰謀家が、つまりいつまでも表舞台で派手に活躍していたいがための仮面をかぶった「営業右翼」「営業保守」が大嫌いである。そもそも、僕は、東大ブントだかなんだか知らないが、たとえ内部的批判があろうとなかろうと、元左翼なら左翼らしく思想的に一貫して、たとえば広松渉柄谷行人のごとく、その道で哲学的に、また文学的に一家をなすのならともかくとして、ただ人間関係だけを優先して転向を繰り返し、行く先々で仲間を裏切り、無節操にも、いつまでも元左翼リーダーという看板を悪用して、「有名人」として生き延びることだけを生き甲斐としているような、要するに西部邁のような、学生時代は左翼、社会に出てからは右翼・保守というようなカメレオンのような狡賢い生存方法を軽蔑する。それ故に、僕は、広松渉柄谷行人の本は、あるいは60年安保を左翼思想家として戦った吉本隆明の本は、政治思想的立場を超えて、ほとんど全部読んでいるが、そしてそれらの本は、いつでも再読、三読出来るように書棚の奥深くに大事に保存しているが、学問的にも思想的にも才能と資質が欠如しているが故に、「転向右翼」に堕落した西部邁やそれに類する転向者達の、つまり「営業右翼」どもの本は、たとえそこに何が書いてあろうとも、ほとんど読まないし、また何かの縁でたまたま読んだとしても、「志操」(思想ではない!!!)の問題として、その類の本を身近に置いておくことは潔しとしないが故に、すべてゴミとして廃棄している。そもそも、西部邁等は、くだらない雑文は山ほど書いているようだが、我々が読むに値すると思う本は一冊も書いていない。漫画家と対談したり、テレビに出て床屋政談なんかしている閑があったら、後世に残るべき本でも一冊ぐらいは書けるだろうと思うのだが、それが、世渡りだけがうまくて、学問的、思想的な才能と資質から見放された西部邁のような「営業右翼」には、おそらくないものねだりであって、最初から無理なのだろう。西部邁は、小林よしのりとの対談で、右翼・保守派は本を読まない、と勝手に解釈し断定しているようだが、つまり具体的に西部邁の言葉を引用しておくと、≪左翼系というのは本を読むのが好きで、本を読んで覚えた理屈をこねくり回すのが好きな人たちです。それに対して右翼の人たちは、どちらかというと本が嫌いで、理屈を聞くと頭が痛くなって、感情を激発させたりするタイプが多い。≫(『反米の作法』)と不用意に言っているが、学生時代から一貫して保守・右翼を自称してきた身から言うとまったく余計なお世話であって、つまりそれこそ西部邁がどの程度の思想家であるかを象徴している言葉であって、要するにそれは西部邁の理解しているような右翼・保守派が、あるいは西部邁の周辺に屯している右翼・保守を名乗る連中が本を読まないだけであって、本来の保守・右翼は、小林秀雄から福田恒存江藤淳三島由紀夫、田中美知太郎……と本を読むだけではなく、後世に残るすぐれた本や翻訳を大量に書いたり翻訳したりしているのだが、それが転向右翼の悲しさで、西部邁にはわからないらしい。西部邁は、来るべき「一億総保守化」の時代の空気を読んで、突然に福田恒存という錦の旗印をかついで右翼・保守論壇にもぐりこみ、それを乗っ取ったわけだが、しかし福田恒存には論壇的雑文だけではなく、『シエクスピア全集全翻訳』という立派な作品があるが、「福田恒存福田恒存……」と叫びたてるだけの西部邁には、政治的雑文だけがあって作品に値するものがまったくない。僕が、西部邁を、小林よしのりと並べて、恥ずかしげもなく左翼から右翼へ転向し、しかもその左翼体験を得々と語り続ける「ナンチャッテ右翼」、あるいは商売繁盛のためなら何でもありの「営業右翼」と呼ぶ所以である。ちなみに政治評論家の森田実も、西部邁の元左翼仲間であるらしいが、僕が、この手の転向右翼、転向保守を、たとえ今、現在、何を言おうとも、まったく信用していない理由がわかるだろう、というものである。(続く)
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