文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小林秀雄と富永太郎と中原中也…、そして長谷川泰子。

← 人気ブログランキングへ



近代日本文学史上でも特筆すべき文学的大事件の一つである小林秀雄中原中也との出会いを演出したのは、生前はほとんど無名に近い存在で、のちに評伝を書き、小林秀雄周辺の人間関係なら何でも知っていると思われる大岡昇平でさえ、実は死後に、その弟・富永次郎の口からその名前を聞いただけという、世間的には無名のまま夭折した詩人・富永太郎である。今、富永太郎と言えば、近代日本の代表的な象徴詩人として知られ、現代詩文庫などにまで登場し、多くのフアンもいるらしいが、夭折した無名詩人の名をそこまで高めたのは、言うまでもなく本人の力というよりは、ひとえに大岡昇平小林秀雄等の友人、知人の「文章」による「富永太郎神話」作りの成果のせいだったといわなければならない。とは言いながら、もちろん、僕は、富永太郎の詩人としての才能や資質を認めないというわけではないが、それよりもやはり富永太郎の最大の功績は、批評家・小林秀雄と詩人・中原中也を強引にか偶然にか、結び付け、やがて一人の女を間にした「奇怪な三角関係」という暗い闇の世界へ二人を導いたということにあるというのが、僕の理解である。小林秀雄中原中也もこの富永太郎を軸にした出会いと奇怪な三角関係の暗い闇との遭遇がなければ、おそらく二人とも、現在、われわれが知る批評家や詩人とはかなり違う存在になっていただろう。つまり、小林秀雄中原中也、そして長谷川泰子という三角関係は、富永太郎という夭折した詩人なしにはありえなかったということである。やがて富永太郎が死に、そしてそれに中原中也が続くわけだが、この二人の詩人の夭折を踏み台にしたかのように、小林秀雄長谷川泰子はそれぞれ別の人生を歩んだとはいえ、ともに長く生き続けることになるわけだが、ともあれまず、もっとも早くこの世を後にした富永太郎という存在はどんな存在だったのかを見ていこう。富永太郎は、年譜によると、東京市本郷区(文京区)出身。父の謙治は尾張藩士族出身で鉄道省事務官から青梅鉄道社長を歴任、母の園子は、立教女学校からお茶の水女子高等師範学校に学び、卒業後日本女学校、跡見女学校の国語教師……というその頃としては珍しい共稼ぎの家庭に生まれた。妹と弟かいるが、弟が富永次郎で、大岡昇平の成城高校時代の同級生で、この縁で、やがて大岡昇平は、「富永一郎神話」とも言うべき数々の富永太郎伝説を、資料と文献に基づいて書き続けることになるわけだが、ところで、本人はといいうと、成績優秀な少年で、両親の期待を一身に集めつつ府立一中に進学し、すでに文学に目覚めていたためであろうが、翌年入学してきた小林秀雄や、さらにその翌年転向してきた河上徹太郎と知り合う。府立一中卒業後は、父親の勧めもあって仙台の二高理乙に進学するが、本来の志望はフランス文学に傾いていたために、進路選択の悩みを抱えたままに、仙台の二高時代に医者の妻との恋愛事件に遭遇、やがて相手の夫の知るところとなり、両親をも巻き込んだ事後処理が試みられるが、女は夫の元に戻ることを決断し、それに対して富永太郎は失恋、中退という挫折を味わうことによって、結局、仙台を去らざるをえなくなり、つまり「仙台から離れる」ということが両親をも巻き込んだ話し合いの結末であり、結果的にこの事件をきっかけに学校エリートのコースからはずれていくことになるわけだが、東京に戻ってからも一高受験に失敗したり挫折は続き、上海旅行などを経て、最終的には東京外国語学校(東京外語大)に進学するが、ここでも勉学に集中できないままに卒業……。いずれにしろ、富永自身にとってもまた、息子の実力を高く評価しており、才能の開花を期待していた家族にとっても、富永太郎の学生生活は、きわめて不本意な学生生活だったと言わなければならないだろう。卒業後は、本郷の菊坂絵画研究所等に通い、画家として身を立てることを願うが、油彩の作品を描く傍らで、相変わらず詩作も続ける。府立一中から共に仙台の二高に進学した友人・正岡忠三郎が京都大学に入学したのを機に、何物かに追いかけられるように、正岡の下宿に転がり込み、居候することになるが、ここで、当時、山口中学から成績不良のために京都立命館中学に転校してきていた中原中也との関係が出来ることになる。「面白いやつがいる……」と言って中原中也富永太郎に紹介したのは、同じく仙台二高時代の友人の冨倉徳次郎……。しかし、京都時代は長くは続かず、富永太郎は、喀血したのを機会に、病気療養のために帰京せざるをえなくなる。これを追いかけて上京してきたのが中原中也とその同棲相手の長谷川泰子たったというわけだが、つまりこうして、病床の富永太郎を挟んで、東大仏文科の不良学生だった小林秀雄、山口中学中退、立命館中学中退、と中退を繰り返しながら上京した放浪者・中原中也、そして広島から女優を目指して家出し上京したが、関東大震災のために京都へ流れ、そこで16歳の中原中也と知り合い、同棲し、中原中也の上京に伴って再び上京してきた風変わりな「新しい女」・長谷川泰子……という人間関係が出来ていくことになる。富永太郎は24歳で病死し、後に残されるのが小林秀雄中原中也長谷川泰子、そしてその周辺に河上徹太郎大岡昇平等がいたということになるが、いよいよ、ここから、つまり富永太郎の没後、富永太郎的純粋性の挫折と死を乗り越えるかのように、それぞれの新しい人生が始まることになる……。



← 人気ブログランキングへ