文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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西部邁は日本のネチャーエフだったか?

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「情況」の緊急特集号のことを続けるが、連合赤軍事件に関する西部邁の「自意識過剰なおしゃべり」は留まることを知らないようで、今度は驚くべきことに、連合赤軍事件というと必ず引き合いに出されて、定番中の定番として、その類似性、ないしは相似性が語られるドストエフスキーの『悪霊』とネチャーエフ事件だが、西部邁は、自分こそはロシア革命史で名高い、その「ネチャーエフ」主義者だったと、恥ずかしげもなく主張しているけれども、これもまた自意識過剰というか、無意識過剰というか、なんでも政治的事件の意味を自分の個人史と結びつけて大言壮語する西部邁らしく、これぞまさしく、まったくの噴飯物だと言わなければなるまい。西部邁は、保守思想家としては、恥ずべき過去でしかないはずだが、保守思想家は単なる営業用の看板でしかないらしく、部活に毛の生えた程度の学生運動体験でしかないにもかかわらず、その東大生としての「ブント体験」とやらを、日本の革命史の重要な一齣と勘違いしているのか、大げさにこう言っている。

僕は実はそういうのを半分好んではいた。よく連合赤軍を解説するときに、例のドストエフスキーのネチャーエフを用いる。中核派の大幹部と僕は大親友であると同時に、実はともにネチャーエフ主義者だった。主義者というのは言いすぎだが、追い込まれている組織が持ちこたえようとすると、ネチャーエフ主義にならざるを得ない。僕の場合はそれがいやだったということもある。(足立正生ーー西部さんの言うネチャーエフ主義とは突破口主義のことですか。)そうではなくて、陰謀を組んで、そこで厳格な規律、共産主義者のための10箇条を作りお互いに点検しあう。点検するとそこから外れている感じのするやつはスパイとみなすというやり方です。そしてスパイとみなされたやつを殺し、河へすてたという事件が起こり、それを題材にしてドストエフスキーは『悪霊』を書いた。僕は自分がネチャーエフ主義に取りこまれていくのを感じていた。

西部邁は組織の中にスパイと見られるものを発見し、自分の手でそのスパイを殺し、河に投げ捨てたという経験でもあるのか。あるはずがない。スパイ・リンチ殺害事件……。そんなことを西部邁や彼の仲間達がしているはずもない。むしろその極限状況を巧妙に避け、結局のところうまく逃げたのである。学生生活の終わりと共に、左翼学生運動を適当に頃合を見計らって切り上げ、今度は真面目な学生として大学院に進学し、マルクス経済学ではなく近代経済学を専攻し、そしてそれなりに優秀な研究者としてアメリカに留学し、大学に就職する……。それが西部邁学生運動、つまり左翼体験のすべてに過ぎない。刑務所につながれたり、裁判の被告となったりしたことはあるだろうが、すべてそれらのことはご愛嬌であろう。連合赤軍中核派の連中と、あるいはネチャーエフのようなホンモノの革命家と比較するのも恥ずかしい、きわめて健全な、そして人畜無害の経歴である。同じく60年安保を戦い、それなりに傷ついているのだとすれば、せめて吉本隆明のように、筋の通った生き方をしてから、物を言ってもらいたい。単なるノーテンキな学生運動しかしてこなかった者が、いやしくも多数の仲間殺しをやってしまった連合赤軍や、内ゲバで多数の死者を出した中核派や、あるいはロシア革命の前段階を生きたネチャーエフのような人物達と、みずからの俗物丸出しの貧弱な、そして凡庸な左翼体験を比較して語ってもらいたくない。西部邁よ、懐メロも、もういい加減にしてくれ。つまらない学生運動の前歴を、なんの自己批評もなしに大げさに語る「自意識のおしゃべり」は、これ以上、聞きたくない。そんな閑があったら、無理だとはわかっているけれども(つまり「才能」がないんだよ!!!)、敢えて言わせて貰うが、連合赤軍事件に匹敵する論文なり批評なりの作品を書いてくれ……というのは冗談だが、いずれにしろ、西部邁のようなまともな左翼にもなれなかったような中途半端な日和見主義者に、そして頃合を見計らってカメレオンのように転向し、密かに保守陣営に潜り込んできた似非保守、営業保守に、保守論壇が乗っ取られたところに、昨今の保守論壇や保守ジャーナリズムの貧困と限界がある。学生時代の左翼体験を、さも自慢げに得々と語る似非保守主義者に保守思想や保守精神がわかるはずもなく、またそういう転向保守の二枚舌なんぞわかりたくもない。解ってたまるか……(福田恒存)。ところで中島岳志は、戦後の保守思想家の代表として、「福田恒存西部邁」をあげているが、とんでもない勘違いである。福田恒存はともかくとして、何故、西部邁が保守思想家の代表格なのか。西部邁は転向保守、営業保守、ナンチヤッテ保守そのものではないか。西部邁が保守思想の代表なんて、まったくの愚論、暴論でしかない。





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