文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

マンガ右翼・小林よしのりの台頭と三島由紀夫の自決、あるいは連合赤軍事件について……。

← 人気ブログランキングへ


それにしても、何故、マンガ右翼と呼ばれて、密かに軽蔑され、嘲笑されているにもかかわらず、小林よしのりのようなくだらないギャグ漫画家が、保守論壇とはいえ、論壇やジャーナリズムの中心にどっかと座り、まるでいっぱしの思想家や哲学者のごとく振舞うことが出来るという喜劇的状況が現出したのかは、大いに謎だが、僕は、マンガ右翼・小林よしのりの台頭を促したものとしては、三島由紀夫の自決事件とその後の左翼勢力の衰退の原因となった連合赤軍事件という二つの事件の後の「思想的空白」をあげなければならないと思うのだが、たまたま昨日、立川の朝日カルチャーセンター小説講座に出る前に、ちょっと時間があったので、いつものように駅ビル・ルミネのオリオン書房によって書棚を眺めていると雑誌『情況』が目に付き、さっそく手にとってページをめくってみたら、若松孝二監督の『実録・連合赤軍 浅間山荘への道』の映画をめぐる緊急特集号であることがわかり、しかもその中に、僕が長年、こだわり続けている連合赤軍リーダー森恒夫の、「もしぼくが絶望感に敗北したら……」という文章で始まる自殺直前の「最後の書簡」が掲載されているので、さらにその他の連合赤軍関係の多数の論考と共に、資料的にも貴重なものと思って、久しぶりに『情況』を買ってしまったというわけだ。『情況』には最近、佐藤優の『広松渉論』の連載もあり、ちょつと注目していたところだったが、復刊されて以後、あまり関心もなかった『情況』という雑誌を久しぶりに買い、じっくり読んでみると、やはり左翼陣営の論壇の一角を形成している雑誌だけに読み応えがあるというか、右派論壇の「マンガ保守」と「オバサン保守」の跋扈に象徴される軽薄と面白さが売りの保守論壇系の雑誌類と比較してやはり重厚であることは否めないなーと、若い頃のことを思い出しながら、思った次第だ。ところで僕は、立松和平連合赤軍小説を映画化した高橋伴明監督の『光の雨』も、その他の連合赤軍ものを映画化した作品も、左右、どの陣営のものにかかわらず、ほとんど見ていないが、おそらく今回も、わざわざ見に行くことはないだろうと思うが、それというのも、僕には僕なりの連合赤軍のイメージと解釈が、それなりに出来上がっており、たぶん映画は僕のイメージや解釈とは違うものになっていることは明らかなので、見に行く必要はないと判断しているのである。たとえば、左右をとわず、この問題を取り扱う時には、連合赤軍リーダーだった森恒夫を、稀代の「悪役」として思想的にも人間的にも批判・罵倒することから始めるのが通例だが、そしておそらく若松監督の映画でもそうなっているはずだが、僕は、そこのところの解釈が、彼等とは根本的に異なるので、つまり僕としては、この問題においては森恒夫を、思想的も人間的にも、そして政治党派の指導者としても、かなり「すぐれた……」人物として見ているので、ただ森恒夫の個人的な「責任」を明らかにし、それを主に追求すればそれで終わり……というような、ある意味では素朴なヒューマニズム的な考え方には、思想的に納得できないのである。少なくとも、僕の中では、三島由紀夫森恒夫は、ともに、この1970年代初頭の過激な「思想のドラマ」を、命を賭けて演じた主役として等価なのである。そしてこの二人の退場と共に、左右を問わず、思想的、政治的な空白と絶望がが論壇やジャーナリズムに広がり、そして呆然自失して沈黙を余儀なくされた思想家や活動家の代わりに、思想も政治もわからない能天気なマンガ右翼やオバサン右翼が、あるいはそれと等価かそれ以下の似非思想家や似非ジャーナリストが登場し、思想や政治の言説を、下世話な「茶飲み話」以下のギャグ漫画レベルにまで引き摺り下ろしたのである。したがって、小林よしのりごとき三流のギャグ漫画家が、いかにも自信ありげに、転向保守派で、世渡り上手の西部邁あたりを相手に、「わしは……」と言う度に、僕は、絶望的な気分になるのである。ところで、この映画については、同じ『情況』特集号でのインタビューで、シナリオライターで『映画芸術』編集長荒井晴彦がこう言っているのが、いちばん納得できた。見ないで言うのもなんだが、たぶん、そんなもんだろう、と僕も思っている。

「嫌な映画を見たな」という気持ちがします。事実を描いているけども、真実を描いていないではないか。事件を描いているけども、人間を描いていないではないか。これはただの再現ドラマではないか。新聞記事やテレビ番組の『知ってるつもり』の「情報」と同じではないか。なせこんなものを今作ったのか。という印象を持ちました。
(荒井晴彦「嫌なものを見たな、という感じーーー映画論として」)

荒井晴彦の本質的な映画批評に対して、西部邁が、若松孝二足立正生を前に、例によっていい加減な「お追従」を述べているが、はっきり言って読むに耐えない。西部邁はこんなことを言っている。

その直後、ブラで合流して、言葉数は少なかったがともかく「すごい映画であった」と。凡庸な言葉ではあるが、「存在感がかくも大きな映画というのは近年稀な代物である、以上お仕舞い」ということになった。その後、なぜこんなにこの映画の存在感はは重いのかなと考えた。
(中略)
僕は日本映画を少ししか観ていないから比較対照できないのが残念だが、今回の映画はおそらく出色の存在ではないのかと思う。逆にそのことを映画人たちが認めなければ、日本映画はよくならない。知識の世界も引き受けて言えば、この映画を観て何か痛切なことを思い起こしたり考えたりしなくては、文章を書いてもしょうがない。僕はこういう意味も含めて若松親分の脂肪のお腹をつっついた。
(「僕たちがなぜ連赤事件にこだわるのか」)

西部邁が、かつてブントの指導者だったかどうか知らないが、あるいは全学連委員長だったかどうか知らないが、少なくともその時代時代の主流派の大きな流れに乗り、うまく時勢に迎合し、風に吹かれる凧のように転向を繰り返しつつも、都合のいい屁理屈を並べながら、しぶとく思想家として、あるいは学者文化人として生き延びてきたことは高く評価してもいいが(笑)、今さら、連合赤軍事件に関連させて、彼の自慢話のような、言い換えればナツメロのような学生運動体験ともいうべき昔話を聞きたくもないと思うのは、僕だけではないだろうが、それにしても若松孝二足立正生も、今さら、マスコミ芸人と化した元左翼の老人を呼んで来て、ミエミエのお世辞を語ってもらうとは、情けないというか、根性がないというか、ちょっとがっかりする話ではないだろうか。西部邁は、柄谷行人蓮実重彦などと違って、文藝や芸術に疎いらしく、この映画を認めるようでなければ、「日本映画はよくならない……」とか、「この映画を観て何か痛切なことを思い起こしたり考えたりしなくては、文章を書いてもしようがない……」と言っているが、まつたく逆であって、この程度の素材主義的な、つまり実録的なメロドラマ的映画に、お世辞とはいえ、恥ずかしくなるようなお追従を言うようでは、思想家としても、学者文化人としても失格であり、話にならないだろうというのが、僕の思想的立場である。西部邁は、「自意識に決着をつける……」とかいう小林秀雄の自意識批判を例に出して、この映画の良さは、連合赤軍事件に対する自意識過剰な「おしゃべり」を拒絶し、実録映画に徹したところにあるというが、つまり「自意識の垂れ流し」に決着をつけたところにあるというが、映画の評価は別として、西部邁自身の「自意識の垂れ流し」の方はどうなのか。実は、西部邁の「自意識の垂れ流し」とは、こうものである。

そして戸籍上は三月十五日だから、三月十五日を記念して左翼を辞めようと決意した。ただその辞めた最大の理由は、もちろんいろいろなことがある、疲れ果てただとか、一切勉強をしないで街頭を走り回っている虚しさとかもあったけれども、やはり骨身に沁みたものを言うと、みんな大して人前で胸を張って言えるほどの謂われが無いにもかかわらず殺しに入っていく、あるいは殺されるだろうと強い予感を持つ。これはものすごく生理的に悪い。それで僕は戦線逃亡を高らかに宣言して、辞めた。/それから11年たって連合赤軍が登場する。やはり僕が一番愕然としたのは連赤の事件だった。その間、僕は四,五年食うや食わずでふらついて、そして行くところが無いから東大の大学院へ行った。……(中略)/ その前に横浜国大で得ていたのだが、経済学なんてやる気が毛頭無くて適当に講義を済ましてさっと居なくなって月給だけ貰う、というとんでもないことをやってた。だから連赤が起こったとき僕は面白かった。どんどんやれと思った。坂口や坂東が鉄砲を撃っているのをまだよく覚えていますよ。テレビのまえで、もっと撃てなんてやっていた。どうでもいいが、ちょうど森田実が、訳あって、ナショナルのカラーテレビを僕に送ってくれた頃だ。

これを読んで、「まったく哀れな連中だなー」と思うのは僕だけか。そんなことはないだろう。これこそ、まったく恥ずかしげな素振りも微塵も感じられない、鈍感力抜群の、堂々たる「自意識の垂れ流し」そのものなのではないか。西部邁が、さも思想的意味があるかのように喋る左翼学生運動を辞めて東大大学院に進学したという話も、思想的意味など何一つなく、ただもう田舎出の俗物根性丸出しの東大生が選択しそうな、まったくありふれた上昇志向の典型的な人生コースであって、「どうぞご立派に頑張って、出世して故郷に錦を飾ってくださいよ……」とでも言うしかない話ではないのか。西部邁が、左翼学生運動を辞めて大学院に進学したのは、後にやって来るリンチや内ゲバの問題とはなんの関係もない話ではないのか。横浜国大教員として、連合赤軍の銃撃戦をテレビの前から、つまり安全地帯から、「もっと撃て……」なんて言って面白おかしく楽しんでいたのも、そこに思想的意味があるわけではなく、ただもう一般庶民のストレス発散の常識的反応の一つに過ぎないではないか。僕は、そのことで、西部邁を批判しようとしているのではなく、ただもう、通俗この上ない自慢話を得意げに回顧するその言説のスタイルこそ「自意識の垂れ流し」そのものであって、しかもそのことに無自覚らしい西部邁の口ぶりを、そこまで言うか、とちょっと軽蔑しているだけである。





← 人気ブログランキングへ