文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

工藤精一郎訳『罪と罰』(新潮文庫)の二つの問題場面

dokuhebiniki2008-06-01


亀山郁夫訳のドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』(光文社文庫)が、古典新訳としては異例とも言うべき売れ行きを示しているようで、それに先導されるように、にわかにドストエフスキー・ブームが起きているらしいが、その余波ではないかと思われるが、亀山訳ドストエフスキーの「誤訳問題」が一部のロシア文学者、ないしはドストエフスキー研究家の間でひそかに注目されいるらしく、先日は、週刊誌「週刊新潮」の記事にもなったらしい。「らしい……」と言っても、実は僕も読んだのだが、僕などは翻訳には多少の誤訳はつきもので、別に大騒ぎする必要もないと考えるが、一部のドストエフスキー研究家の中には、亀山訳「カラマーゾフの兄弟」が、爆発的に売れていることへの複雑な感情もあって、かなり「誤訳問題」がヒートアップして、各方面に波及しつつあるらしい。というわけで、ドストエフスキー研究と言えば、日大芸術学部清水正(まさし)教授の膨大な、そして緻密なドストエフスキー研究、ドストエフスキー論を思い浮かべるのは当然であると、僕などは考えるのだが、どうも一般世間ではそうではないらしく、学閥や業界の派閥も絡んで、清水正ドストエフスキー研究は、今までのところ、密かに研究者達は拾い読みしているようだが、実質的には、完全に黙殺されているらしい。たとえば、亀山郁夫のいくつかのドストエフスキー論にも、清水のドストエフスキー研究からのパクリは明らかだが、亀山郁夫の著作の本文にも参考文献にも清水正の名前は影も形もない。実は、先日、清水正が20歳の頃に書いたドストエフスキー論『ドストエフスキー体験』と『停止した分裂者の覚書』が、『清水正ドストエフスキー論全集2』(D文学研究会)として復刻・再刊されたので、それを祝うべく、池袋の某居酒屋で、わずか5、6名の仲間だけだが、集まって、最近のドストエフスキー・ブームのあれこれや、あるいは小沼文彦や江川卓清水正との交流関係史、亀井訳『カラマーゾフの兄弟』誤訳問題と木下豊房……などを酒の肴に、大いに盛り上がったのだが、その話の中で話題になったことの一つで、僕の興味をひいたのは、工藤精一郎訳「罪と罰」の誤訳問題であった。工藤訳は新潮社から刊行されているものだが、清水によると、どうも決定的な「誤訳」があるらしく、以下に引用するのは、誤訳を指摘した清水正のその原文であるが、清水はここで、『罪と罰』の冒頭部分とマルメラードフの告白の部分における初歩的というか、決定的というか、実に滑稽とも言うべき誤訳を指摘している。たとえば、工藤訳の『罪と罰』の冒頭部分では、「借家人から又借りしている……」という部分が抜け落ちており、逆に「建物の門から……」という部分が追加されているらしいが、これは工藤が、未亡人プラスコーヴイアの存在を無視、ないし軽視していることの証拠で、多分、日本語も誤訳と言って間違いない、と清水は見ている。米川正夫訳を初めとして、小沼文彦、江川卓池田健太郎訳は、ここのところの翻訳はほぼ同じで、工藤訳だけが「借家人から又借り……」を抜かしているらしい。未亡人プラスコーヴイアの存在は、その不具者の娘とラスコーリニコフが婚約していることからも分かるように、『罪と罰』ではかなり重要な役割を演じている存在で、とても無視できるような存在ではないのに、である。また、マルメラードフの告白の場面では、ラスコーリニコフに向かってマルメラードフが、「学生さん、あなたには、私が豚ではない、と断言する勇気がありますかな……」という言葉が、「豚である、と断言する勇気……」と、つまり「豚でない」と訳すべきところが、「豚である」となっていると清水は言う。これもまた決定的な誤訳であろうと思われる。やはり、いくらなんでも、こういう明々白々たる誤訳がある以上は、新潮社としては、すみやかに訂正版を出すべきだろうと思うのだが、最近の文藝出版会業界もだいぶモラルが低下しているらしく、こういう「誤訳」や「誤字」を堂々と放置し、これは曽野綾子の『ある神話の背景』もそうだったが、そのまま再販を出し続けているようだが、おそらくやがて、読者からの手痛いしっぺ返しにあうことだろう。その時になってあわてても遅いというものだ。ところで亀山郁夫の『罪と罰』の訳も進行中らしいが、大胆に意訳・超訳するもいいが、その前に、原文にない語句や文章を勝手に追加するのではなく、是非、ある程度原文に忠実に訳して、そしてそれから、それを前提に読みやすい訳文を心がけてもらいたい。
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●工藤訳『罪と罰』の問題点
清水正




■最初の場面
 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』の翻訳に関して、いろいろと議論されているが、ここでは工藤精一郎訳『罪と罰』をとりあげることにする。十年以上も前から大学の授業において学生には伝えていたことだが、誰も公に指摘しないからか、いっこうに訂正される様子もないので、敢えてここに記すことで問題提起することにした。
 『罪と罰』は最初の叙述場面が分かれば、その全体が理解できると言われるほど重要である。新潮文庫の工藤精一郎訳では次のようになっている。

  七月はじめの酷暑のころのある日の夕暮れ近く、一人の青年が、小部屋を借りているS横町のある建物の門をふらりと出て、思いまようらしく、のろのろと、K橋のほうへ歩きだした。


 わたしが最初に読んだ『罪と罰』は米川正夫訳で、河出書房から出ていたグリーン版世界文学全集22であった。長いあいだわたしはこの本を愛読して、米川訳で『罪と罰』の世界を理解していたが、原典にあたるようになってからは、翻訳をそのまま受け入れることの危険性を感じはじめた。そこで米川訳以外の翻訳も注意深く読むようになった。そのうちの一冊に新潮文庫の工藤訳もあった。工藤訳はここに引用した最初の場面から、何か違和感を覚えた。
 ついでだから新潮社版「ドストエフスキー全集」7巻の工藤訳も引用しておく。

  七月はじめの酷暑のころのある夕暮れである。一人の青年が、小部屋を借りているS横町のある建物の門をふらりと出て、思いまようらしく、のろのろと、K橋のほうへ歩きだした。

 日本で最初にロシア語訳原典から『罪と罰』を翻訳した中村白葉は次のように訳している。

  七月初旬の怖しく暑い時分の事、ある夕方近く、一人の若い男が、Cー横町の借家人から又借りしてゐた自分の小部屋から通りへ出て、心の極らないさまで、のろく・とKー橋の方へ歩いて行つた。(初版は大正七年九月廿五日印刷・同年九月廿八日発行。引用は大正十年二月廿七日十一版に拠る)

 わたしが長いこと愛読した河出書房新社「世界文学全集18」米川正夫訳は次のようになっている。

  七月の初め、方図もなく暑い時分の夕方ちかく、ひとりの青年が、借家人から又借りしているS横町の小部屋から通りへ出て、なんとなく思いきりわるそうにのろのろと、K橋のほうへ足を向けた。

 江川卓岩波文庫版『罪と罰』で次のように訳している。

  七月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日暮どき、ひとりの青年が、S横町にまた借りしている狭くるしい小部屋からおもてに出て、のろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした。

 中村訳、米川訳、江川訳を比べてみると、内容はほとんど変わらない。目立った違いは中村訳で「Cー横町」が米川・江川訳では「S横町」となっていることである。これはどういうことだろうか。

 日本で最初に『罪と罰』を翻訳したのは内田魯庵(内田不知庵、不知庵主人とも称した。本名は内貢)で、彼はフレデリック・ウィショー(FREDERICK WHISHAW )の英語訳『KRIME AND PUNISHMENT』をテキストにした。次にフレディリック訳と内田魯庵訳を引用する。

One sultry evening early in July a young man emerged from the small furnished lodging he occupied in a large five-storied house in the Pereoulok S・・,and turned slowly,with an air of indecision,towards the K・・bridge.

 七月上旬或る蒸暑き晩方の事。S………「ペレウーロク」(横町)の五階造りの家の道具附の小坐敷から一少年が突進して狐疑逡巡の体でK……橋の方へのッそり出掛けた。

 内田魯庵は英語訳「S」横町と「K」橋をそのまま英語表記で訳した。ところでロシア語原典では「S」(エス)は「С」(エス)で、「K」(ケー)は「К」(カー)である。おそらく中村白葉はロシア語原典の表記をそのまま日本語訳の中に入れたのだろう。先に引用した中村訳の「Cー横町」の「C」も「Kー橋」の「K」も英語のように見えるが、これは活字の形の問題であって、中村自身は十分にロシア語を意識していたと思われる。従って、中村訳を朗読する場合には「Cー横町」は「エス横町」、「Kー橋」は「カー橋」と発音しなければならないことになる。もっとも、ロシア語を知らない一般読者はそんなことにはいっさい頓着せずに「シー横町」「ケー橋」と発音して何の疑問も抱かなかったであろう。
 内田魯庵は明治二十五年に内田老鶴圃という出版社から『小説 罪と罰』の〈巻の一〉〈巻の二〉を翻訳刊行したが、これは実は完訳ではない。『罪と罰』の全体の二分の一である。魯庵は大正二年に改訳版『罪と罰』を丸善から刊行するが、これもまた未完に終わった。詳しいことは分からないが、新潮社からロシア語原典からの翻訳が出るとの話を聞いて、英語訳からの翻訳、すなわち重訳の時代は終わったと認識したのかも知れない。
 新潮社版世界文學全集22『罪と罰』(昭和三年五月二十日)の月報に載っている中村白葉の記事を読むと、なんと中村は内田魯庵訳『罪と罰』の存在を知らなかったらしい。〈巻の二〉には北村透谷など当時のそうそうたる文学者が内田魯庵訳『罪と罰』の批評を寄せていたというのに、その存在さえ知らなかったというのであるから恐れ入る。
 新潮社の編集部は当初『罪と罰』の翻訳を山内封介に依頼していた。ところが山内が病気になり、急遽、新進気鋭の中村白葉にお鉢が回ってきた。当時の中村はまだ二十四歳、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)を卒業したばかりであった。中村白葉訳『罪と罰』の月報に内田魯庵も文章(「初めて『罪と罰』を翻譯した頃」)を寄せているのだが、彼のドストエフスキーに対する熱い思いは中村白葉のそれとは比較にならない。内田は複雑な心境を押さえ込んで、ドストエフスキーに対する積年の思いを吐露するにとどめている。
 中村白葉訳、米川正夫訳、江川卓訳と比較しただけでも、新潮文庫の工藤訳は違うことが分かるが、ここでロシア語原典を見ておくことにしよう。

 В начале июля,в чрезвычайно жаркое время,под вечер,один молодой  человек вышел из своей каморки,которую нанимал от жильцов в Сーм  переулке,на улицу и медленно,как бы внерешимости,отправился к Кーну  мосту.(ア・5 )

 原典に照らし合わせれば、〈一人の青年〉(один молодой человек)が〈自分の小部屋から〉(из своей  каморки)〈通りに〉(на улицу)出てきたことは明白で、工藤訳以外はすべてそのようになっている。工藤訳では〈一人の青年〉は「ある建物の門をふらりと」出てきたことになっているが、ロシア語原典にその訳語にあてはまる言葉はない。「小部屋を借りている」という訳もおかしい。〈一人の青年〉は〈Сー横町〉に住んでいる〈借家人から〉(от
жильцов)〈又借りしていた〉(нанимал)のであって、工藤訳では〈借家人から〉(отжильцов)が消えてしまっている(註1)
 ロジオン・ロマーノヴィチ(ロマーヌイチとも言う)・ラスコーリニコフ〔РодионРоманович(Романыч)・ Раскольников〕(註2)という名前を持つ〈一人の青年〉は〈借家人〉(жилец=未亡人プラスコーヴィヤ)から小部屋(каморка)を又借りし、その女将の娘であるナタリアと婚約までしていた。母親のプラスコーヴィヤにして見れば、不具者であった娘が、ペテルブルク大学法学部の学生(現在はたとえ貧乏学生でも、将来を期待される人材であり、花婿であったということ)にプロポーズされたわけだから、こんないい話はなかった。それで彼女はラスコーリニコフに百五十ルーブリもの金も貸したのである。ところが、一年半ほど前、娘ナタリアは腸チフスに罹って死んでしまう。ラスコーリニコフは大学をやめてしまい、家庭教師もやめてしまう。しかし金を貸しているので、下宿人を追い出すわけにもいかず、仕方なく屋根裏部屋に押し込んでいる(女中のナスターシャによれば、ラスコーリニコフが借金は返さず、部屋も出ていかないので、女将が困りはてているような言い方をしているが、百五十ルーブリもの金を返さずに他に出ていかれて行方不明になるのもさらに困ったことではあったろう)。
 いずれにしても〈下宿人〉(жилец)ラスコーリニコフと〈借家人〉(жилец)プラスコーヴィヤの関係はこの小説において重要な位置を占めており、決して無視することはできない。最初の場面においてこの〈借家人から〉(от жильцов)を訳さないということは、ふつう考えられないことである(註3)
 ところで、工藤精一郎は新潮社版「世界文學全集17」(初版1961年7月5日。引用は1963年2月25日に拠る)では次のように訳していた。

  ひどくむし暑い七月はじめのある日の夕暮れ近く、一人の青年が、S横丁の借家に間借りしている小部屋から通りへ出て、のろのろと、思いまようような様子で、K橋の方へ歩きだした。

 〈от жильцов〉を工藤精一郎は〈借家に〉と訳している。これでは〈借家人〉プラスコーヴィヤにあまり重点が置かれないことになる。それ以外は、工藤訳は中村白葉、米川正夫江川卓訳と基本的には同じである。なぜ、工藤精一郎は新潮文庫版で、わざわざ原典にない「ある建物の門をふらりと」などと訳したのであろうか。まったく不思議である。他の訳者とは違った訳を狙うあまりに、このようなことをしでかしたのであろうか。
 ラスコーリニコフが〈小部屋〉から〈通り〉へ出てきたということが重要であって、「ある建物の門をふらりと」出てきたことなど、別にたいした問題ではない。ラスコーリニコフの〈小部屋〉(каморка)は文字通り物置のような小部屋であり、奥行き六歩ばかりの天井の低い〈船室〉、〈棺桶〉、〈戸棚〉のような小部屋である。この自分の狭苦しい〈小部屋〉から〈通り〉へ出て、〈のろのろと〉(и медленно)〈なにか思い惑うようにして〉(как  бы в нерешимости)、〈К橋の方へ向かって〉(к Кーну мосту)歩いていったということを、きちんとおさえておかなければならない。
 〈К橋〉は〈コクーシキン橋〉をモデルにしていると言われるが、とりあえず〈橋〉ということに注目すば、これは現実と非現実、人間の世界と神の世界の狭間(境界)を意味している。十九世紀ロシアの首都ペテルブルクに生きていた〈一人の青年〉はその額に悪魔(РРР=666)の刻印を押されていたが、この青年が考えていた〈いったいおれにあれができるんだろうか〉〔Разве я способен на это?〕(上・13/ア・6 )の〈あれ〉(это)は表面的には〈高利貸し老婆アリョーナ〉と考えられるが、その底には〈キリスト者リザヴェータ殺し〉〈皇帝殺し〉が隠されていた。さらに殺人を告白した上での〈大地への接吻〉、そして最終的には〈復活〉を、〈あれ〉は意味していた。額に悪魔の刻印を押されていた青年は、老婆アリョーナを殺す際に、斧の刃先を自分の額に向けて振り上げ、峰を老婆の頭上に振り下ろした。象徴的な次元では、ラスコーリニコフは〈悪魔の刻印を押された額〉を自ら振り上げた斧の刃先で叩き割っていたと言える。その傷ついた額を、さらに大地にひれ伏せることで癒すという行為を、ソーニャによって命じられていた。しかし、ラスコーリニコフはソーニャの指示にそのまま従うことができないまま、シベリアにつくことになった。彼は、シベリアで突然、〈復活〉の曙光に輝くことになる。このことをどのように受け止めるかによって、『罪と罰』の理解は大きな違いを見せることになる。詳しいことは別のところで書いた『罪と罰』論にまかせることにして、ここではラスコーリニコフが〈復活〉へと向けて、思い惑いながら、ゆっくりと、しかし確かに〈橋〉の方へと向かって歩いていったという、最初の場面に注目しておくことにとどめておこう。




マルメラードフの告白の場面
 次に問題となる工藤精一郎訳の箇所を引用する。因みに、新潮文庫訳と新潮世界文學全集17および新潮社版「ドストエフスキー全集」7巻の訳はまったく同じである。

 「失礼ですが、学生さん、あなたはできますかな……いや、もっと強いはっきりした言葉をつかって、できますかなんてじゃなく、勇気がありますかと言いましょう、何のって、いまわたしの顔をまともに見ながら、わたしが豚だと、きっぱり言いきる勇気がですよ?」(文庫・25/世界文學・19/全集・ 19)

 同じ場面を中村白葉訳と江川卓訳で見てみよう。

 『時にお若いの、どうです・・あなたはそれがお出來になりますかな……イヤもつとはつきりもつと適切に言へばですな……あなたはお出來になりませんかな、その勇気がありませんかな、今ぢつと私を見ながら、私が豚でないと斷言する事が?』(新潮社・24〜25)

 「それはそうと、学生さん、あなたにはできますかな・・いや、もっと単刀直入に言わせてもらえば、できますかなじゃなくて、勇気をお持ちですかな─いまこの場で、私の顔を見ながら、おまえは豚じゃない、と断言なさる勇気を?」(岩波文庫 上・34〜35)

さて、工藤訳と中村・江川訳の決定的な違いはすぐに分かろう。工藤が「わたしが豚だ」と訳しているところを中村は「私が豚でない」、江川は「おまえは豚じゃない」と訳している。これは原典にあたってみればすぐに分かる。

 Позвольте,молодой человек:можете ли вы……Но нет,изъяснить сильнее и изобразительнее:не можете ли вы,а осмелитесь ли вы,взирая в сей час на меня,сказать утвердительно,что я не свинья?(ア・14 下線部は原典ではイタリック体)

正解は誰が考えても「私は豚でない」(я не свинья)ということで、ここに引用した中村・江川以外の訳者(米川正夫・小沼文彦・池田健太郎)たちすべてがそのように訳している。つまり工藤精一郎だけが「豚だ」と訳しているわけで、いったいこれはどういうことなのだろうか。ロシア語の初歩を知っている者なら、〈豚でない〉というのを〈豚である〉などと間違えるはずはない。わたしは最初、「私が豚ではないのだ」の校正ミスではないかとも考えたが、最初の場面の訳といい、どうもそうではないらしい。訳者工藤精一郎の『罪と罰』の〈読み〉に関係するのではないかとさえ思う。
 いずれにしても、新潮文庫ドストエフスキーに関心を持つ多くの若い人達に読まれる可能性があるのであるから、こういう〈誤訳〉はきちんと訂正してもらわなければならない。
 マルメラードフの告白において、彼がラスコーリニコフに向かって挑発的に言う、この「私が豚ではない」と断言できる勇気があるかどうか、というのは、きわめて重要なセリフであり、絶対に訳し間違えたり、訳し変えてはならないセリフである。
 マルメラードフの再婚したカチェリーナ・イワーノヴナは、幼い三人の子供をかかえて夫に先立たれた。彼女は名門の貴族女学校出の俊才で、卒業式には知事閣下の前でショールの舞を踊って、金メダルと賞状を授与されたことを何よりも誇りにしていた。好きな男と駆け落ちまでして結ばれ、三人の子供にも恵まれた。しかし当初、優しかった夫もやがてカルタに手をだし、妻に暴力もふるうようになった。あげく夫は死んでしまった。未亡人カチェリーナの窮状を見るに見かねたマルメラードフがプロボーズする。カチェリーナにして見れば、愛も尊敬もないマルメラードフと結婚する意思など毛頭なかったと思われる。しかし、彼のプロポーズを受けなければ一家心中でもするほかない状況に置かれていたカチェリーナはしぶしぶ承諾する。つまりカチェリーナにとってはマルメラードフとの結婚を承諾することは、彼女にとっての紛れもない〈踏み越え〉であった。『罪と罰』(преступление инаказание)における〈踏み越え〉(преступление)は単に主人公ラスコーリニコフにおいてのみ適用されるのではない。カチェリーナもソーニャも、それぞれの〈踏み越え〉のドラマを抱え持っていた。
 ある時、カチェリーナはソーニャに向かって「この穀つぶし、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる」と言う。ソーニャは「じゃ、カチェリーナ・イワーノヴナ、ほんとにわたし、あんなことをしなくちゃいけないの?」と聞く。カチェリーナは「それがどうしたのさ」とせせら笑いながら「なにを大事にしてるのさ! たいしたお宝でもあるまいに!」と答える。ソーニャは五時過ぎに、黙ってマントを羽織って部屋を出ていくと、八時過ぎに戻ってくる。ソーニャはまっすぐカチェリーナのところへ行き、一言も口を聞かずに三十ルーブリの銀貨をテーブルに並べる。ソーニャはドラデダム織りの大きな緑色のショールを頭からすっぽりかぶると、顔を壁の方に向け寝台に横になる。ソーニャの肩と体がびくんびくんとひっきりなしに震えている。しばらくして、カチェリーナはソーニャのそばに近寄り、一晩中、娘の足元に跪いている。そして二人は抱き合ってそのまま寝入ってしまう。
 マルメラードフの告白は注意に注意を重ねて読み込んでいかないと、その真実を見逃してしまう。しかし、その注意は知的次元にとどまっていたのでは真実に近づくことはできない。ものに感ずる心がなければだめなのである。
 ドストエフスキーは〈五時過ぎ〉から〈八時過ぎ〉までの、ソーニャの三時間の〈踏み越え〉のドラマをいっさい具体的に記すことはなかった。他でも書いているので詳しくは語らないが、ソーニャの処女を銀貨三十ルーブリでものにしたのは、マルメラードフが〈生神様〉(божий человек)などと最大限持ち上げたイワン閣下である。つまり〈生神様〉イワンはペテルブルク中で知らない者がいないほどの漁色家で、貧しい家の、若くて美しい(そうでなくても良かっただろうが)処女を不断に物色しているような閣下様(ヒヒ爺)で、女衒のダリヤ・フランツェヴナともその方面で親密な関係にあったのである。ダリヤはマルメラードフ家のソーニャに目をつけ、家主のアマーリアを通じて話を進めていた。カチェリーナは二回もきっぱりと断っていたのに、三回目(ドストエフスキーの文学にあっては3は駆け引き、取引、売買を意味する悪魔的な数字としての意味を持っている)、ついにカチェリーナは悪魔の誘惑にのってしまった。先に引用した、ソーニャに向けられた「この穀つぶし・・」云々の言葉が、「教育もあり、名門の出で、育ちもちがう」貴族女学校出身の〈奥様〉(дама)の口から発せられていたことで、さらに凄まじさを増している。どんなに美しい心を持った〈貴婦人〉でも、生活が逼迫し、不治の病に侵されて、呑んだくれの〈ロクデナシ〉〔подлец〕と暮らしていれば、このようになるのだ、と言わんばかりである。
 マルメラードフは自分の実の娘ソーニャの〈処女〉を捧げることで、再就職を決めることに成功した。最新思想の信奉者であるレベジャートニコフは「同情などというものは、今日では学問上でさえ禁じられておる」と公言してはばからなかった。イギリスの功利主義に基づく経済学に則れば、何の担保もない者に金を貸すバカはいないということである。マルメラードフはあてのない借金の話をしたときに、〈もっとも高潔にして有為の材たる仁〉〔благонамереннейший и наиполезнейшийгражданин〕(ア・14)が、どう間違っても金を貸すわけはないと断言する。はっきり言えば、担保がなければびた一文貸さない〈高潔にして有為の仁〉がイワン閣下であったということである。何もかも知っているマルメラードフはイワン閣下の〈漁色〉〈色欲〉〔сладострастие〕に賭けた。ソーニャの〈処女〉を提供する代わりに〈再就職〉を決めるという悪魔の契約は成立した。確かにマルメラードフの額にも〈獣〉〔звериный образ=666〕の刻印は押されていたのである。
 マルメラードフの告白をいくら読んでも、あいまいなところはあいまいなままで、その一つに、マルメラードフがイワン閣下の所へ言って就職を決めてきたのがいつなのかについては明らかではない。しかしわたしは、マルメラードフが閣下の所へ出掛けていったのは、ソーニャが〈処女〉を銀貨三十ルーブリに代えてきた日の翌朝と考えている。江川訳でマルメラードフの告白を引用してみよう。

 「……でも私も、さすがにその朝は、目をさますとさっそくぼろ服を着こんで、両手を天に差しあげてお祈りを捧げてから、イワン・アファナーシエヴィチ閣下のところへ出かけましたよ。ご存じでしょう、閣下のことは? ……ご存じない? ほう、あの生神さまをご存じないとは! あれは蝋のような方ですよ……主の御像にお供えする蝋ですな。蝋のようにとろとろと溶けてしまわれる方だ! で、私の話を、涙まで浮かべて聞いてくだすって、おっしゃったものです。「いいかね、マルメラードフ君、きみはすでに一度、ぼくの期待を裏切った男だ……しかし、もう一度、ぼくの個人的責任できみを置いてあげよう」はい、このとおりのおっしゃりようでした。「さ、それを忘れずに、行きなさい!」私は閣下のお御足の塵をなめましたよ、心のなかで……いえ、といいますのは、なにぶんご身分がご身分ですし、国家的にも文化的にも新しい考えをお持ちの方ですから、本当にはそんなことをお許しになるはずもないからでして。で、家に帰って、またお役所に戻れる、俸給もいただけるようになった、と申しますと、ああ、そのときの騒ぎといったら!
……」(上・45)

 先にも指摘したように、マルメラードフの告白を表面的にそのまま読んでいっても、何も分からない。〈新しい考え〉、すなわち新思想の信奉者レベジャートニコフが〈同情〉〔сострадание〕を認めなかったように、イワン閣下もそういった男なのである。この閣下を落とすためにマルメラードフは実の娘の〈処女〉を餌にしたというわけだ。「蝋のようにとろとろと溶けてしま」うというのは、イワン閣下が淫蕩なヒヒ爺であることの比喩的表現である。マルメラードフは、閣下が「涙まで浮かべて聞いてくだすっ」たという、その〈私の話〉を何ら具体的に語っていない。ソーニャの〈踏み越え〉の物語も作者はいっさい描かず、ここでもマルメラードフに何一つ語らせていない。しかし、ソーニャの最初の相手がイワン閣下だとすれば、作者が描かなかったソーニャの三時間の〈踏み越え〉のドラマはかなり鮮明に想像することができる。
 ソーニャが体を売ってきた晩から朝方まで、カチェリーナはソーニャの足元にひれ伏して大いなる悲しみのうちに寝入ってしまった。が、マルメラードフが再び役所に戻れるという報告を受けるとカチェリーナは歓喜で大騒ぎする。何ということだ。女衒ダリヤと家主アマーリヤの誘惑にのって、娘ソーニャの〈処女〉を銀貨三十ルーブリに代えてしまったというのに、そのことで再就職が決定したことにはしゃいでいるのだ。人間というものはこういうものなのか。ラスコーリニコフマルメラードフを送っていった帰り『頼むぜ、ソーニャ! それにしても、たいした井戸を掘りあてるものさ! で、ちゃんとそいつを利用している! そうさ、利用してるじゃないか! もうなれっこだ。ちょっぴり泣いちゃみたが、もうなれっこなんだ。人間って卑劣なやつは、何にだってなれっこになるんだ!』〔Ай да Соня! Какой колодезь,однако ж,сумели выкопать! ипользуются!  Вот ведь
пользуются же! И привыкли.Поплакали,и пр
ивыкли.Ко всему‐то подлец‐человек привык
ает!〕(上・61〜62/ア・25)と独りごちる。
 マルメラードフは一ヵ月まじめに働いて二十三ルーブリ四十カペイカの給料を貰ってくる。ところが、翌日(五日前)、カチェリーナのトランクの鍵を盗み出し、俸給の残りを持ち出してしまう。安酒場での酩酊、乾草船での五夜、そして今日は娘ソーニャの所へ行って酒代をせびってきたと言う。ソーニャは黙ってなけなしの金三十カペイカを渡してくれたという。・・つまり、誰が見ても、マルメラードフは〈ロクデナシ〉〔подлец〕、正真正銘の〈豚〉〔свинья〕ということである。マルメラードフの屈辱恥辱に満ちた告白は嘲笑と罵声を呼ぶだけであったし、ラスコーリニコフに送られて五日ぶりに酔いつぶれて帰って来たマルメラードフをカチェリーナは〈ならず者〉〔Колодник〕〈悪党〉〔Изверг〕と怒鳴りつけている。
 だからこそ、マルメラードフの発した言葉・・「それはそうと、学生さん、あなたにはできますかな……いや、もっと単刀直入に言わせてもらえば、できますかなじゃなくて、勇気をおもちですかな・・いまこの場で、私の顔を見ながら、おまえは豚じゃない、と断言なさる勇気を?」が重要なのである。マルメラードフはここでラスコーリニコフに向かって、誰もが〈豚〉(〈ならず者〉〈ろくでなし〉)と見なす彼のことを〈豚でない〉と断言できる勇気を持っているか、と聞いているのである。工藤精一郎訳は、マルメラードフの告白の重要な場面を何ら伝えないものとなってしまう。
 ラスコーリニコフは「人間って卑劣なやつは、何にだってなれっこになるんだ!」〔Ко всему‐то подлец‐человек  привыкает!〕と独りごちた後、「だが、待てよ、もしこれがおれの作り話だとしたら」〔Ну а коли я соврал〕と考え直し、次のような言葉を発する。

 「もし人間が、一般に人間が、つまり全人類がほんとうは卑劣じゃないとしたら、あとのことはいっさいが偏見で、見かけだけの恐怖で、なんの障壁もないってことになる。そうなる道理じゃないか!」〔коли действительо не подлец
 человек,весь вообще,весь род то есть че
ловеческий,то значит,что остальное всё・・
предрассудки,одни только страхи напущенн
ые,и нет никаких преград,и так тому и сл
едует быть!〕(上・62/ア・25)

この〈思い〉は『罪と罰』の最深部に貫流している。一家の犠牲になって〈処女〉を銀貨三十ルーブリに代えたソーニャ、給料の残金を使い果たして酒代をせびりにきたマルメラードフになけなしの金三十カペイカを黙って手渡したソーニャ、このソーニャだけは、マルメラードフを〈豚ではない〉ときっぱり断言できる勇気を持った存在である。ソーニャは最新思想の信奉者レベジャートニコフや、〈もっとも高潔にして有為の材たる仁〉が決して認めない〈同情〉(сострадание)そのものを体現している存在である。人間はすべて〈卑劣漢〉〔подлец〕だという、そういった人間認識で生きていくのか、それともマルメラードフのように酒瓶の底に苦しみと悲しみを求めて生きていかざるを得ない者に限りのない〈同情〉を寄せて生きていくのか。
 ラスコーリニコフの前には、まず〈ルージン〉の道がある。大学を出て、出世街道をまっすぐに突き進む道である。夫に先立たれて、二人の子供を女手ひとつで育て上げた母プリヘーリアが息子ロージャに望んでいた道である。テキストに揺さぶりをかけ、深層の舞台に照明をあてれば、ラスコーリニコフが皇帝殺しをはかる〈テロリスト〉の道もあるが、この道は当時の検閲を配慮して巧妙に隠された。ドストエフスキーが用意したのは、〈ルージン〉の道に対する〈ソーニャ〉の道であった。ラスコーリニコフは肉親の絆を断ち切ってまで、〈復活〉の曙光に輝く〈ソーニャの道〉を辿っていくのである。
 ここでは、詳しく語らないが、今まで書いたことだけでも、最初の二、三行の場面と、マルメラードフの告白における〈豚でない〉〔не свинья〕という言葉の重要性は分かっていただけたと思う。

註1 〈借家人から〉(от жильцов)を翻訳で消してしまったのは工藤精一郎だけではない。江川卓訳でも「S横町にまた借りしている狭くるしい小部屋からおもてに出て」(岩波文庫版)というように〈借家人〉の存在は消されている。池田健太郎も「S横町の下宿の小部屋から表通りに出て」と訳している。古くは内田魯庵生田長江・生田春月や江口渙も〈借家人〉の存在を消している(資料編・参照)。〔от жильцов〕を〈借家人から〉ではなく、〈借家人として・下宿人として〉とも解せるのであろうか。

註2 『罪と罰』の主人公は様々に呼ばれている(なお、引用する日本語訳は頁数を示したものに限り、岩波文庫江川卓に拠る。ロシア語原典からの引用はアカデミア版全集6巻に拠る)。まず彼は〈ひとりの青年〉〔один молодой человек〕(上・11/ア・5 )として登場する。次に作者によって〈彼〉〔Он〕と表記された後、主人公自身が老婆アリョーナに向かって「ラスコーリニコフですよ、学生の。ほら、一カ月ほどまえにうかがった」〔Раскольников,студент,был увас назад тому месяц,〕(上・19/ア・8 )と名乗っている。ここで読者は初めて〈ひとりの青年〉の姓が〈ラスコーリニコフ〉であることを知る。
母プリヘーリヤの手紙でラスコーリニコフは『なつかしい私のロージャ』上・68〔Милый мой Родя, 〕(上・68/ア・27)と愛称〈ロージャ〉〔Родя〕で呼ばれている。因みにラスコーリニコフを愛称の〈ロージャ〉で呼ぶのは母親以外では妹のドゥーニヤと友人のラズミーヒンのみである。ドゥーニャは〈兄さん〉〔брат〕とも呼び、ラズミーヒンはプリヘーリヤやドゥーニャに向かってはラスコーリニコフのことを〈ロジオン〉〔Родион〕とも言っている。またソーニャはラスコーリニコフを〈あ
なた〉(вы)と読んで、名前では読んでいない。
 最初にラスコーリニコフのフルネームが発せられたのは、ルージンが屋根裏部屋を訪れた時である。ルージンはその場に居合わせた医師のゾシーモフを婚約者の兄と間違えて「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ君でしょうか、大学生の、いや、元大学生だった?」〔Родион Романыч Раскольников господин студент или бывший студент?〕(上・292 /ア・111 )と聞いている。ラスコーリニコフは犯行現場を訪れた時に、彼に不信を抱いた庭番に「ぼくはロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」〔Я  Родион Романыч Раскольников, 〕(上・357 /ア・135 )と答えている。ルージンは手
紙の中で〈ロジオン・ロマーノヴィチ殿〉〔Родион Романович〕(中・57〜58/ア・ア・168 )と三回ほど書いている。ラズミーヒンがラスコーリニコフポルフィーリイ予審判事に紹介する時、彼は「こちらは、友人のロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」〔вот приятель, Родион Романыч Раскольников, 〕(中・122 /ア・192 )と言っている。原典では〈ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ〉となっており、米川正夫・小沼文彦・池田健太郎・工
藤精一郎もまたそのように訳している。なぜ江川卓が〈ロマーノヴィチ〉と訳したのか、単なる思い違いなのであろうか。
 スヴィドリガイロフはラスコーリニコフを〈ロジオン・ロマーノヴィチ〉〔Родион・Романович〕(ア・215 、217 、222 、223 、224 、335 )及び〈ロジオン・ロマーヌイチ〉〔Родион Романыч〕(ア・336 、357 、362 、365 、367 、374 、376 、377 、385 )と呼んでいる。江川卓は〈Родион Романович〉をすべて〈ロジオン・ロマーヌイチ〉と訳し変えている。
 ポルフィーリイは自分の事務室に入ってきたラスコーリニコフに向かって「やあ、大先生!」〔А,почтеннейший!〕とか「先生!」〔батюшка!〕(中・298 /ア・255 )とかなれなれしく呼んでいる。また〈ロジオン・ロマーノヴィチ先生〉〔батюшка Родион Романович〕とか〈ロジオン・ロマーノヴィチ〉〔Родион Романович〕(ア・257 )〈ロジオン・ロマーノヴィチさん〉〔добрейший Родион Романович〕(ア・261 )とも呼んでいる。ポルフィーリイはこういった呼び方を何回もしているが、江川卓は〈ロマーノ
ィチ〉をすべて〈ロマーヌイチ〉と訳し、原典にあるポルフィーリイの父称を省略したり、〔добрейший〕を訳さなかったりしている。
 ポルフィーリイは三回目の会見の時は、ラスコーリニコフを〈ロジオン・ロマーヌイチ〉〔Родион Романыч〕(ア・342 、343 、344 、345 、346 、347 、348 、349 、350 、352 )と実に二十四回も呼んでいる。
発狂したカチェリーナ・イワーノヴナは駆けつけたラスコーリニコフに向かって「おや、ロジオン・ロマーヌイチ、あなたでしたか!」〔Ах,Родион  Романыч,это вы!〕(下・154 /ア・329 )と言っている。この場面で彼女は五回ほど〈ロジオン・ロマーヌイチ〉と言っている。
 ラスコーリニコフは警察署で副所長のイリヤに〈ラスコーリニコフ〉〔Раскольников〕及び〈ロジオン・ロマーヌイチ〉〔Родион Романыч〕(ア・407 )と名乗っている。
 エピローグで作者は〈ロジオン・ラスコーリニコフ〉〔Родион Раскольников〕と書いている。
 正式な父称が〈ロマーノヴィチ〉で、〈ロマーヌイチ〉は会話の時などに用いられる少しくだけた言い方なのであろうか。わたしは『罪と罰』を読んだ十代の頃からラスコーリニコフに〈父称〉が二つあるのを不思議に思っていた。『罪と罰』を読む限り、ルージンが役所風の気取ったもの言いで〈ロジオン・ロマーノヴィチ〉と言っているので、正式の書類などにはこういった署名をするのかとも思うが、エピローグでは父称が省かれているなどすっきりしないところもある。あるいは、ここにも何か秘密が隠されているのであろ
うか。

註3 ラスコーリニコフは犯行現場を訪れ、そこで彼に不信を抱いた庭番に「いったいあんたはどなたですね?」と聞かれ、「ぼくはロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ。元学生で、この横町の先のシーリの家に住んでいるものだよ。十四号室。」〔Я Родион Романыч  Раскольников,бывший студент,а живу в доме Шиля,здесь в переулке,отсюда недалеко,в квартире нумер  четырнадцать.〕(上・357 /ア・139 )と答えている。この言葉をそのまま信ずれば、彼が住んでいた〈五階建ての高い建物〉の持ち主はシーリで、プラスコーヴィヤはシーリから〈十四号室〉を借りていた〈借家人〉(жилец)で、ラスコーリニコフはプラスコーヴィヤから屋根裏部屋を又借りしていた〈下宿人〉(жилец)ということになる。
2008年4月28日〜5月8日

以上は私が編集発行している「Д文学通信」(1163号・2008年5月10日発行)に発表したものである。

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