文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

西部邁への退場勧告。これ以上、恥の上塗りを繰り返さないためにも、論壇やジャーナリズムから、即刻、退場すべし。

西部邁は、同郷という理由から政治家・鈴木宗男に接近し、それを契機に鈴木宗男から資金援助を受け、それを資金に雑誌を刊行していたらしいが、しかし、最近、金の切れ目が縁の切れ目、というわけでもないだろうが、突然、鈴木宗男批判、鈴木宗男罵倒に転じたらしい。西部邁の新著『小沢一郎は背広を着たゴロツキである』を読んで、僕は、西部邁は、その言論の自己矛盾や変節をどう言い訳しようとも、もう言論人としての存在意義を失っていると痛感したが、中でも、西部邁が語る同郷人(北海道)としての「鈴木宗男」との交遊録を読むにいたって、これ以上、恥の上塗りを繰り返さないためにも、西部邁はもう論壇やジャーナリズムから引退するしかないだろう、と思わないわけにはいかなかった。西部邁は、「官房機密費」問題の波及を恐れたのかどうか知らないが、鈴木宗男との金銭の授受について、つまり鈴木宗男から雑誌刊行の赤字補填という名目で、何がしかの資金援助を受けたことについて、こう書いている。

私は『北の発言』という雑誌を、これまた赤字だらけの形で、出していた。(中略)私は鈴木氏に、「故郷の道民へ向けて『北の発言』で発言してほしい」と申し出て、そして鈴木事務所をテープとカメラ持参で訪れた。「こういう雑誌です」と私が『北の雑誌』を差し出すと、彼は、「先生、これ、赤字でしょう」と問い、私は「ええ、もちろん」と答える。すると鈴木氏は「赤字額はいくらですか」と尋ねる。私は「ええっと、年間で、百八十万ですかね」と応じる。彼はただちに「先生、そのX分の一は僕が引き受けます」といい、すぐさま秘書を大声で呼んで、「先生に、Y円、差し上げるように」という。実際にその場でそれを受け取ることになり、私は「助かります」といって頭を深く下げた。(中略)そのX分の一の約束は、こちらが止めるまで、三年、実行された。
(西部邁小沢一郎は背広を着たゴロツキである』P202)

この西部邁鈴木宗男の会話が、何を意味するか、僕は分からないが、しかし、西部邁が、雑誌刊行の赤字補填の名目で、何がしかのカネを鈴木宗男から受け取っていたことは事実だと言っていいだろう。とすれば、西部邁も、「テレビで偉そうなことを言っている政治評論家…」と名指しされた、いわゆる「官房機密費」問題とも無縁とは言い切れないかもしれない。ところで、西部邁は、新著におけるのみならず、あらゆる著作で、「政治家」という存在を甘く見ているし、もつとはっきり言えば軽蔑し、蔑視している。このことは、西部邁が保守思想家を自称しているが故に、かなり重要なポイントである。つまり、ここに、西部邁が、いわゆる「転向保守」であって、地に足のついた「保守」ではないという根拠がある。西部邁は、保守思想家を自称しているし、またしばしば保守思想なるものを開陳しているが、少なくとも僕の知りえた範囲では、選挙という選挙民相手の「命がけの戦い」を繰り返す政治家を、軽々しく「大衆政治家」と罵倒し、大衆という国民に向き合っている「政治家」そのものまで侮蔑、蔑視するかのような言論活動を展開するような保守思想家を知らない。小林秀雄福田恒存も、そして三島由紀夫江藤淳も、いずれも、それほど国民や大衆を、あるいは大衆政治家を侮蔑していないし、もちろん、国民や大衆の中から這い上がってきた大衆政治家という存在を冒涜するような発言は一度もしていない。小林秀雄は、「国民は黙って事変に処した」と語ったことがあるが、その時、小林秀雄は国民を軽蔑していなかった、というよりも国民の前に深く頭を垂れ、国民の物言わぬ叡智を畏怖し、尊敬していたと言っていい。小林秀雄にかぎらず、福田恒存江藤淳のような保守思想家には、国民や政治家という実行者・実践者への信頼と畏怖があった。しかし西部邁には、そういうものがない。西部邁は、転向保守であるが故に、保守思想家の原点とでも言うべきものが分かっていない。国民や大衆を「愚民」や「愚衆」と呼び、彼等、愚かな大衆どもを、そして愚かな大衆政治家どもを、オレ様の知性と教養で啓蒙してやるのが保守思想家の勤めだとおもっているフシがある。西部邁こそ愚かである。西部邁が、紙風船のように、その時の風任せで、転向を繰り返す理由は、そこにある。西部邁の正体が、保守思想家とは名ばかりで、実は国民や大衆の群れを愚かな羊の群れと思っており、従って愚かな盲目的な大衆の一群を、つまり日本国民を、俺の言論と思想で導いてやる、と愚かにも錯覚している「左翼小児病」患者であることは、自ら暴露していると見ていいだろう。大衆を啓蒙する、というのが悪しき「左翼の論理」であることは言うまでもない。そして、かかる似非保守思想家・西部邁ごときの語る「保守問答」を真に受け、酒を酌み交わしながら聞きほれ、頷いていた保守政治家たちが、国民や大衆に見捨てられ、ことごとく選挙で落選し、自爆・自滅していったことは、自民党の現状を見るまでもなく、あまりも当然なことだったと言わなければなるまい。


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ