文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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元日本共産党議長・宮本顕治、死す。


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日本共産党議長・宮本顕治が、18日、午後二時頃、入院先の都内の病院でなくなったらしい。98歳だったよぅだ。随分の高齢である。大往生と言っていいだろう。産経新聞は、早速、「マニュアル革命家の偽善」とかいう薄っぺらな批判的追悼記を第一面にデカデカと掲げて、宮本顕の思想と生涯を揶揄し罵倒しているようだが、僕にとっては、宮本顕治という存在は、そんなに容易に批判し罵倒出来るような対象ではない。「ミヤケン」と言えば、まず、昭和四年、東大経済学部の学生時代に、雑誌「改造」評論新人賞で小林秀雄と争い、後に近代文学史上の金字塔となる小林秀雄の「様々なる意匠」を二等に蹴落として見事に一等を獲得した「『敗北』の文学(芥川龍之介論)」であり、新進作家・宮本百合子との結婚であり、治安維持法による無期懲役刑、獄中12年の非転向とそれをテーマにした吉本隆明の「転向論」であり、戦後は共産党主流派としての立場からの、中野重治等、文学者たちへの除名騒動である。むろん、戦前から戦後へかけて、一貫しての共産党員としての政治的活躍は、今更、付け加えるまでもないだろう。いずれにしろ、宮本顕治は、政治的、思想的な立場はまったく異なるが、昭和天皇と並べ称されるべき昭和史の巨人である。タダモノではない。思想的立場や人間的な好き嫌いの相違はいろいろあるとしても、安易に批判、罵倒できるような人物ではないはずである。ミヤケンの隣家に住む老婦人も、共産党を支持しているわけではないがと断った上で、ミヤケンが、腰の低い誠実な人だったと言っている。宮本顕治の死を揶揄し、批判、罵倒するジャーナリストは、単なる無学者に過ぎない。