文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小谷野敦が「連載打ち切り」宣告を受けて、戦う前から「負北宣言」だとさ…(笑)。

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アエラ」での佐藤優批判や、「サイゾー」での文壇批判で、いつしぱしの「コワモテ評論家」を自作自演しようとしていた文壇のドンキホーテ小谷野敦だが、あえなく、というかアッというまに、「文学界」に連載していた雑文が「連載打ち切り」になったらしい。当然の処置だろう。「オマエは、いつから、文壇のドンになったんだよ?」(笑)てなわけで、身の程をわきまえない自信満々の罵詈雑言に「文学界」編集部が、愛想をつかして、躊躇することなく、ガタガタ揉める前にすばやく対応したのだろう。連載打ち切りを宣言された小谷野は、早速ブログで「敗北宣言」を出し、「言論は死んだ」とほざいているようだが、あいかわらず、空気の読めない「田舎モノ」である。それって「負け犬の遠吠え」って奴だろう。小谷野は、自分の連載が打ち切られたことで、「言論は死んだ」なんて大仰な理論を振り回しているわけが、それなら聞くが、先月までは、「言論は生きていた」とでも言いたいのかね(笑)。そもそも文壇や論壇に、無条件の「言論の自由」など、昔からあったためしは無いのである。自分(小谷野敦)が、連載を続けている限り「言論は生きている」ってか…(笑)。アホか。馬鹿も休み休み言ってもらいたい。そもそも小谷野連載は、毒にも薬にもならない、また誰も読まない雑文コーナーだろう。「サシミとツマ」理論で言えば、あきらかに「ツマ」の部類だろう。編集部にとっては小谷野の雑文連載なんて、佐藤優の「私のマルクス」と比較すれば、要するに「鼻くそ」みたいなものだろう。編集部が小谷野の雑文より、佐藤優の「私のマルクス」の連載を優先するのは当然なのだ。「言論の死」などとはなんの関係も無い。ただ小谷野が、自分の立ち位置が何処であるかという空気が読めない田舎モノだというだけのことだ。小谷野に論争なり、言論戦なりをやる気があるなら、連載を打ち切られたぐらいで「言論は死んだ」なんて泣き言を言わずに、場所を移して、ある場合には自腹を切って同人雑誌でも創刊して、もっと自由に、堂々と戦えばよかろう。いくらでも方法はあるはずだ。小林秀雄江藤淳吉本隆明も、柄谷行人蓮実重彦も、そして福田和也だって、自由な言論活動の拠点として、自前の表現手段としての「同人雑誌」を創刊し、論争や評論活動を継続したではないか。文芸誌が自由な言論の場所でないことは、はじめからわかりきっているのだ。さまざまな制約や規制の中で、どうやって自由な、本質的な議論を継続させるか、それを探し出し、巧妙に仕掛けて行くのがプロのプロたる所以だろう。小谷野によると、今月号からの「連載打ち切り」の直接の原因は、小林信彦の小説「うらなり」批判にあるらしいが、それは別件逮捕みたいなものであって、本丸は「佐藤優」問題だろう。佐藤優を、「みのもんた現象」だの、「言論キム・イルソン状態」「論理の飛躍」などと揶揄し、罵倒した以上、佐藤優が黙っているはずがない。しかも、小谷野と佐藤優は、同じく「文学界」で連載を持っているのだ。小谷野は馬鹿だから、「連載打ち切り」をちらつかせる編集部に、小林信彦批判が無理なら、佐藤優批判はどうかと提案したらしい。救いようのない大馬鹿野郎だわ。「連載中の作品には言及しない」というのは業界の常識だろう。また小谷野は、先日のブログで、柄谷行人が小谷野との対談を断ったことを、「柄谷行人こそ逃げた…」と言って批判していたが、今度は、「柄谷といい、佐藤といい、なぜ正々堂々と議論をしようとせず、活字メディアはそれを忌避しようとするのか。」と言い換えている。相変わらずオメデタイ奴である。小谷野は、柄谷行人佐藤優よりも自分の方がエライつもりかね。小谷野なんて、文壇のシモネタ専門の場末の雑文屋であって、柄谷行人佐藤優と対等に対談なんかやれるようなタマじゃないだろう。柄谷行人は「逃げた」のではなく、この大馬鹿野郎を単に無視、黙殺しただけだろう。対談の相手なら、渡部直巳程度が似た者同志で、お似合いだね。ところで、佐藤優は、「週刊金曜日」の大鹿記者批判、小谷野批判に続けて、「月刊日本」でも、さらに本格的な大鹿記者批判と小谷野批判を展開している。唯一の連載をアッというまに、要するに戦争(論争)がまだ始まってもいない段階で、打ちきられた小谷野と大違いである。しかも小谷野は、「週刊金曜日」にも原稿を持ち込んだが掲載拒否されたらしい。まったく、何処までアホで、マヌケなのか。戦争や論争をやるならやるで、少しぐらいは戦略というものを考えてから、やれよ。子供の喧嘩じゃあるまいし…。というわけで、小谷野が、2、3年前、「評論家入門」という駄本で、オレ様(山崎行太郎)を批判・罵倒した文章をこれから、「2ちゃんねる」の過去ログあたりから(笑)、持ち出してくるから、論争でも喧嘩でも、徹底的にやろうぜ。オレじゃ、役不足だって…(笑)。まあー、そう言わずに、お互い、場末の雑文屋稼業(笑)の身じゃないか。ねえー、小谷野クン…。仲良く喧嘩でもしようよ。ついでに、江藤淳自決直後、江藤淳を批判・罵倒した大西巨人に対して、事実関係の間違いを指摘して反論・論破したオレ様を(産経新聞「斜断機」)、論争の過程で、息子の大西赤人に、「山崎行太郎って、○○で××××だ。」と告げ口した、差別反対を叫びながら悪質な差別用語を乱発する共産主義者大西巨人の話でも持ち出して来ようかな。小谷野や渡部直巳のネタ元が大西巨人らしいから…。





(小谷野ブログより)


2007-05-24 言論は死んだ

 一年半続けさせてもらった『文学界』の連載だが、前回で打ち切りと決まった。1973年だったか、立原正秋が『諸君!』に「男性的文学論」というエッセイを連載していて、芥川賞の選考委員が老齢化して、有望な新人に賞をやらないということを書いて、編集部から削除され、遂に連載を打ち切って『潮』に移動したことがある。

 私の場合は、ここに書いた小林信彦「うらなり」批判である。ゲラにまでなった段階でストップがかかった。ブログに書いたものだからなどと言っていたが、最後には、内容に疑念を出してきた。私は、ではこれは見送って、佐藤優批判を出すと言ったが、そういう論争の場にはしてほしくないと言われた。それで、打ち切りと決めた。

 『文学界』に載った小説の批判を同誌でやれないとか、連載中の人物の批判を載せられないとか、つまるところはそういうことだが、『週刊金曜日』もまた、佐藤への返答をウェブページに載せることを断ってきた。佐藤は卑怯にも大鹿記者には質問状を公開しつつ、私が書いていることには答えない。佐藤は休職中とはいえ国家公務員であるから、一国民たる私に「稚拙な議論」などといい逃げすることは国家公務員法および憲法違反だと思う。

 議論の内容ではなく、柄谷といい、佐藤といい、なぜ正々堂々と議論をしようとせず、活字メディアはそれを忌避しようとするのか。先般大岡昇平論で書いたとおり、昔は『群像』に、大岡による海音寺潮五郎批判に対する海音寺の激しい反論と、大岡の再反論、海音寺の再々反論が一度に載ったりしていたのだ。

 世は私を嘲笑するかもしれない。世渡りの下手なやつとあざ笑い、佐藤の術策に手を打って礼賛するかもしれない。いったいに世は不思議なものである。いったいいつから、佐藤のような天皇崇拝家が、「左翼」から何の批判も受けないような世になったのか。護憲をバカのように唱えてさえいればいいのか。しかも「共和制になればファシズムになる」などというバカげた議論に、誰も異を唱えない。

 衆愚が礼賛すればそいつの勝ちというのは、民主主義という制度を採用したときから決められていた筋道なのだろう。

 私は敗北した。そしてこれからも、敗北し続けるのだろう。
小谷野敦

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