文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小林よしのりの沈没とブログ進化論と植草一秀ブログ。

小林よしのりがダメでヘタレなのは、かなり以前から分かっていたことだが、今回の、「沖縄集団自決論争」(笑)を通じての、小林よしのりの迷走・後退・発狂ぶりを見てもそれは明らかで、今さら、小林よしのりの政治思想や思想感覚の「いい加減さ」を物笑いの種にしてみたところで、なんの「公的な実り」(笑)もないように思われるが、小林よしのり自身が追い詰められたのかどうか知らないが、言論人としてもっとも恥ずべき行為である「恐喝」「恫喝」という方法で論敵の言論封殺を図るというギャグ漫画家らしいギャグ的暴挙に接した以上、そうも言っていられないので、乗りかかった船だから、遠慮せずに徹底的にこだわってみたいと思う、今日このごろなのだが、さて、「何をやるか」と考えてみたのだが、小林よしのり自身が、大声で喚きたてていた「沖縄集団自決裁判」に関する大胆な「自論」をこどこどとく引っ込め、封印してしまって、なんと密かに小生の「沖縄集団自決」論からその論理展開をパクッたうえに、やけにしおらしい品行方正な好青年的言説を振りまき始めたのを見て、なんだか気の毒になってきたというわけである。小林よしのりは、こんなことを言っている。

山崎は曽野綾子の『ある神話の背景』に、米軍に捕まった後で投降勧告の使者として派遣された住民や、スパイ視された住民が守備隊に殺されたことが書かれていることを挙げ、「これだけの『住民処刑事件』を引き起こしながら、名誉回復を目指す赤松嘉次元隊長や赤松隊員、あるいはそれを支持する曽野綾子等の気持ちがわからない」と書いている。/ わしとてそれを読んで、なにも住民を処刑しなくてもといやな気持ちになったし、残酷だと思った。しかし仮にもブンガクに一家言ありと自称する者なら、女子供の感情論に留まることは恥なのではないか。当時の状況で自分だったら、その住民達にどんな処置をするだろうか。その住民は本当にすでに米軍のスパイとなっているかもしれず、帰したらこちらの隠れ場所の位置や状況を通報するかもしれない。かといって、帰さずにこちらの隠れ場所に入れたら、「投降しても米軍は優しいぞ」などと敵のプロパガンダをするだろう。死を賭けて戦おうと覚悟しているこちらの士気が衰えてしまう恐れもある。どう処置すべきか、考えるだけでも悩ましい。そう考えると、わしとても日本の将兵を断罪できない。/ そもそも渡嘉敷島座間味島にいた軍人たちは、20歳代の水上特攻隊員だった。自分の死の覚悟だけで頭がいっぱいで、住民のことまで配慮がなかったかもれない。だが、20歳代で死ぬ覚悟を固めて戦っていた彼らを、この占領憲法下で安穏と生きて歳だけくった我々が、何の資格で非難できるというのか。……
…………(小林よしのり「『月刊日本』読者様へのご挨拶」より)

これが、小林よしのりの言い分のほんの一部だが、小林よしのりが、これまで「ゴーマニズム宣言」その他で、自信満々に、大声で喚きたてていた「沖縄集団自決」に関する様々な言説とは、その声のトーンが著しく異なっていることは明らかであって、小林よしのりは、これを機会に「転向声明」でも出したのかな、と勘違いさせるような物の言い方である。さて、小林よしのりは、僕の、赤松隊の「住民スパイ視斬殺事件」発言を誤解しているらしく、「女子供の感情論」だと思っているようだが、そういう勘違いこそが、ギャグ漫画家の思想的、より根本的には知的限界であって、僕は本質的には斬殺された「女子供」にただ単に同情し、不憫に思っているだけではなく、つまり「女子供の感情論」に留まっているわけではなく、おそらく小林よしのりは、ドストエフスキーの『悪霊』を読んだことはないだろうが、その『悪霊』の主要なテーマこそ、実は、「目的のためにはどんなことをしてもいいのか」「神が存在しなければ、すべては許されるのか」という重いテーマなのだが、それは文学的にも、きわめて深刻なテーマなのだが、それを、言葉の表層をなぞることしか出来ずに、斬殺された被害者が女子供だからと言って、「女子供の感情論」と強がっているところに「マンガ右翼」のマンガ的正体が露呈していると言うべきなのである。また、僕は、闇雲に、「日本の将兵」を「断罪」するつもりも、「断罪」したつもりもない。戦後も生き延びた上に、みずからの「名誉回復」に固執する赤松嘉次と梅澤裕という二人の恥ずべき元軍人を「断罪」しているだけだ。僕のホンネを言わせてもらうならば、敵と戦う前に、味方であるはずの住民をスパイ疑惑の罪をかぶせ、疑心暗鬼になったあげく、次から次へ住民虐殺を繰り返し、そして自決命令を下したかどうかはともかくとして、少なくとも赤松元隊長の指揮下、統制化にあった渡嘉敷島という地域において、住民の集団自決という大惨事を引き起こした、その赤松隊とその隊員には、「日本の軍人」としてのなんらかの「管理責任」、あるいは「自己責任」というものがあるはずであって、住民の集団自決に続いて、自らも討ち死にし、野垂れ死にするのではなく、心ならずも、「米軍に投降し(!!!)」「米軍捕虜となり(!!!)」「生き残ってしまった(!!!)」以上、そしておめおめと、戦後市民社会を平和に生きながらえてきた以上、今さら、何で、渡嘉敷島住民を「嘘吐き」呼ばわりしてまでも、自分達だけの「名誉回復」が必要なのか、それはおかしいだろう、というまでのことだ。小林よしのりは、「この占領憲法下で安穏と生きて歳だけくった我々が、何の資格で非難できるというのか」と言うが、われわれには、生き残って米軍に投降し、武装解除し、米軍捕虜になり、ぬくぬくと戦後市民社会を生きてき、そして「名誉回復」を求めて裁判まで試みた赤松元隊長、及び赤松隊員、そしてそれを背後で応援する曽野綾子その他の「自己欺瞞」と「無責任」を、堂々と「非難」できるのだ。横井庄一という「日本兵」が、突然、ジャングルの中から、戦後市民社会に現れた時、僕は感動した覚えがある。赤松と横井の違いはどこにあるのか。繰り返すまでもないだろう。さて、今日は、「植草一秀ブログ」http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/について触れるつもりであった。というのは、小林よしのりの、今回の、小生に対する「宣戦布告」から「撤退宣言」、そして「イタイ人」という批判・罵倒言説の中に見え隠れする「怯え」と「不安」、そして激しい「憎悪」も、ネットに疎い小林よしのりに代表される既存の活字ジャーナリズム側の、ブログやメールマガジン等に象徴されるネット社会の台頭への恐怖感と危機感から発したものだと思われるからだ。小林よしのりは、「山崎行太郎のブログを見たら……、イタイ人だと……」という「ブログを見たら……」発言を繰り返しているが、それこそが、小林よしのりがネット社会の台頭への恐怖感と危機感に過剰にとらわれていることの証拠である。それは、新聞やテレビが、絶えずネットやブログを否定的なイメージで、たとえば「出会い系サイト」や「2ちゃんねる」との関連で攻撃し、ネツトやブログが引き篭もりや少年犯罪の温床であるかのごときイメージ操作的な報道姿勢をとっていることと瓜二つである。話を「植草ブログ」に戻すと、ここ数日前から、痴漢疑惑で何回も逮捕され、テレビや新聞で不当なバッシングを受け、今や社会的に抹殺されたに等しい立場に置かれている植草一秀氏が、ようやくブログという表現形態が、発言権を奪われて、なすすべもない一般市民が、唯一頼りに出来る強力な武器になることを自覚したらしく、みずから「植草一秀ブログ」を創設し、それが、あっという間に「ブログランキング(政治)」の上位に登場し、注目を集めているわけだが、ここにも、昨今の言論の置かれているメディア状況の変化が読み取れるはずである。植草氏は、ブログと言う新しい表現形態を武器に、証拠も何もない、誰かに吹き込まれたとおぼしきガセネタ情報を一方的に垂れ流し続けたテレビや新聞、雑誌、週刊誌という既存のメディアを相手に、裁判闘争という逆襲を開始したらしい。東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』で指摘していたように、情報の「双方向性」によって成り立つ「インフォメーション・メディア」としてのネットやブログの登場によって、情報の一方通行によって成り立ってきた従来型の「コンテンツ・メディア」としてのテレビや新聞、雑誌、週刊誌という既存のメディアの限界と危機が、いよいよあらわになってきたと言うことだろう。これまで、大手マスコミの犯罪報道の「報道犯罪性」に泣き寝入りしていた被害者達が、対抗手段としてブログなどによって、もう一つの隠され、抑圧された情報を積極的に発信することが出来るようになった時点で、大手マスコミとそれに依存して生きてきた「コメテーター型文化人」の優位性と情報の独占システムは崩れたのである。植草氏は、「植草痴漢疑惑逮捕事件」に際し、植草氏に面会に行った……という明らかな「嘘情報」を流した「グッチーさん」、こと山口正洋という証券マンや、植草氏は以前に七回もの逮捕暦があるが野村證券が揉み消したとテレビで自明の真理のごとく吹聴した宮崎哲弥を初め、怪しいテレビ文化人やネット文化人等を、次々と告訴するらしいから、今後の展開が楽しみである。ところで、小林よしのりの、見るに耐えないような「宣戦布告」から「撤退宣言」、そして「居直り」発言と「脅迫」発言という右往左往ぶりが示しているのも、まさしく一方通行のコンテンツ・メディアに依存しているギャク漫画家が、ブログ等の台頭から感じているらしい恐怖と周章狼狽ブリだと言っていいだろう。小林よしのりが、既存のメディアでどんなに「有名人」や「売り上げ」を誇り、それを自画自賛しようとも、今は、それも風前の灯火であり、その証拠に小生がブログで反撃を開始すると大慌てで、「山崎行太郎はイタイ人だから、論争をしても公的実りはないだろう……」なんて言って尻まくって逃げているわけだが、誰が見ても、小林よしのりが論理的、実証的なガチンコ対決・論争に勝つ見込みがないことは明らかであり、その上に、ブログでさらに反撃されたら、小林よしのりの無知・無学・無教養がますますバレバレになるわけで、仕方なく早々に論争から逃げて店じまい……ということであり、僕としては、今はただ、無知・無学・無教養を晒しまくった挙句、泣き言を言って逃げ回るしか能のないギャグ漫画家、つまり我らが堕ちたヒーロー君に対して、「小林よしのりよ、お前も、哀れな奴だなー」と思うだけである。というわけで、小林よしのりよ、これからは、反撃してこないことが分かっている中国人でも相手にして、「壁打ちテニス」でもやって自己満足していろ……とでも言っておこうと思うが、どうだろうか。


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