文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

沖縄住民斬殺・銃撃事件……赤松某は、沖縄住民を、何人、斬殺・銃殺したのか。


曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)を読んで、僕がいちばん驚き、衝撃を受けたのは、赤松某と赤松部隊が、米軍上陸という非常事態の中とはいえ、米軍に通じた「スパイ容疑」として、沖縄住民を次々と斬殺、銃殺していったことが、堂々と記述され、しかもそれに対して、曽野綾子が批判したり狼狽したりするのではなく、一貫して、赤松某や赤松部隊の立場にたって、その立場から、この沖縄住民斬殺・銃撃事件を、戦闘中なのだから仕方がなかった、軍法によると法律的には問題ないというような論理で擁護し、弁護しようとしいることであった。僕が、「沖縄集団自決」に「軍命令があったか、なかったか……」「軍命令説を教科書に記述すべきか、削除すべきか……」というような問題に、あまり関心がないと言い続けながら、この問題を執拗に追求しているのは、つまり、僕が、大江健三郎の『沖縄ノート』裁判から曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)へと続く、いわゆる沖縄集団自決問題に拘っているのは、ここに根拠がある。曽野綾子は、この事件を、次のように書いている。

 赤松隊がこの島を守備していた間に、ここで、六件の処刑事件があつた、といわれる。
琉球政府立・沖縄資料編集所編『沖縄県史』によっても、そのことは次のように記されている。
 一、伊江島から移住させられた住民の中から、青年男女六名が、赤松部隊への投降勧告の使者として派遣され、赤松大尉に斬り殺された。
 二、集団自決の時、負傷して米軍に収容され、死を免れた小峰武則、金城幸二郎の十六歳になる二人の少年は、避難中の住民に下山を勧告に行き、途中で赤松隊に射殺された。
 三、渡嘉敷国民学校訓導・大城徳安はスパイ容疑で斬殺された。
 四、八月十五日、米軍の投降勧告に応じない日本軍を説得するために、新垣重吉、古波蔵利雄、与那嶺徳、大城牛の四人は、投降勧告に行き、捕えられることを恐れて、勧告文を木の枝に結んで帰ろうとした。しかしそのうち、与那嶺、大城の二人は捕えられて殺された。
 五、座間味盛和をスパイの容疑で、多里少尉が切った。
 六、古波蔵樽は家族全員を失い、悲嘆にくれて山中をさまよっているところを、スパイの恐れがあると言って、高橋軍長の軍刀で切られた。

以上は、曽野綾子が、沖縄側の資料である琉球政府立・沖縄資料編集所編『沖縄県史』に基づいて書いたものだが、次は、曽野綾子が赤松隊側の資料「陣中日誌」の記録を引用した部分である。

 赤松隊側の「陣中日誌」によると、次のような記録がある。
 「七月二日、防衛隊員大城徳安、数度にわたり、陣地より脱走中発見、敵に通ずるおそれありとして処刑す。米軍に捕えられたる伊江島の住民、米軍の指示により投降勧告、戦争忌避の目的を以て陣地に侵入、前進陣地之を捕え、戦隊長に報告、戦隊長之を拒絶、陣地の状態を暴露したる上は、日本人として自決を勧告す。女子自決を諾し、斬首を希望、自決を幇助す」

 曽野綾子が引用、解説する二つの資料には、同じ斬殺事件の記録でありながら、当然のことだろうが、微妙なニュアンスの違いと対立があるが、問題なのはそれだけではなく、繰り返しになるが、実は、曽野綾子が、この記述の後、『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)の中で、一貫して赤松某と赤松隊員の側から、必死になって、この「沖縄住民斬殺・銃殺事件」を、戦時下だから仕方がなかった、というような曖昧な論理で擁護し、弁護しようと試みていることである。僕は、たまたま、最近、「目的のためには殺人も辞さない」という革命思想をテーマとするドストエフスキーの思想小説『悪霊』を読んでいる最中だったので、戦闘中でのこととはいえ、本来ならば味方であり、保護すへき沖縄現地住民を平然と斬殺していく、この「沖縄住民斬殺・銃殺事件」に興味を持ったわけだが、同時に、この事件を記録しつつ、殺人を、必死で擁護し弁護していく曽野綾子の心理と論理にも興味を持った。曽野綾子が、ここで、「戦時下だからと言って、問答無用とばかりに繰り返した殺人事件を正当化できるか」という問題の前で立ち止まって考えることをせずに、つまり、あっさりと懐疑の精神を放棄して、ひたすら赤松部隊の住民斬殺を擁護し、正当化しようとするのは、何故か、と。曽野綾子は、大江健三郎を裁判に引きずり出して、批判、罵倒していながら、つまり人間・曽野綾子が人間・大江健三郎を堂々と「告発」し、「裁き」ながら、立場が代わって、赤松某や赤松隊員側の罪や悪が告発され追及され始めると、一転して、「人間は人間を裁くことはできない、人間の罪や悪を裁くことが出来るのは神だけだ……」という奇妙な宗教的論理で、赤松某や赤松隊員の罪や悪を免罪しようとしているわけだが、ここでもその詭弁に満ちた便利な宗教的論理を使って、曽野綾子は、沖縄住民処刑を擁護し、弁護するのか、と。(続)



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資料1(過去エントリー)
大江健三郎を擁護する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071110/p1
■誰も読んでいない『沖縄ノート』。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071111/p1
■梅沢は、朝鮮人慰安婦と…。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p2
大江健三郎は集団自決をどう記述したか? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071113/p1
曽野綾子の誤読から始まった。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071118
曽野綾子と宮城晴美 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071124
曽野綾子の「誤字」「誤読」の歴史を検証する。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071127
■「無名のネット・イナゴ=池田信夫君」の「恥の上塗り」発言http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071129
■「曽野綾子誤字・誤読事件」のてんまつ。曽野綾子が逃げた? http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071130
曽野綾子の「マサダ集団自決」と「沖縄集団自決」を比較することの愚かさについて。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071201
曽野綾子の「差別発言」を総括する。 http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071202
曽野綾子の「誤字」は最新号(次号)で、こっそり訂正されていた(続)。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071206