文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「ネット右翼A」と「ネット右翼B」の差異。思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」。安倍晋三的「ネット右翼A」と桜井誠的「ネット右翼B」との差異は、思想を「血肉化」しているかどうかの差異である。「ネット右翼A」の特質は、受け売りやパクリ。思想がどんなに高級でも、受け売りやパクリに終始している限り、その思想はニセモノに過ぎない。大学系知識人や大手ジャーナリズム系知識人の多くは、あるいは左翼市民運動家たちの多くは、この種のニセモノに過ぎない。たとえば、桜井誠や在特会を、反社会的な犯罪者集団のごとくに批判=告発す


👈応援クリックよろしくお願いします!


思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」とは何か。たとえば、吉本隆明は、「転向論」で、日本の知識人に特有の転向の原因は、「大衆からの孤立」にあると言っている。私見によれば、「大衆からの孤立」が、思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」を怠った結果、生じる思想現象である。


私は、桜井誠在特会に集まる人たちは、dその思想がどんなに稚拙、幼稚であろうとも、少なくとも「大衆からの孤立」という問題に関しては、決して「孤立」はしていないと考える。それ故に、彼等の思想や言動は強く、揺るぎない。頑強である。故に安易な「転向」もない。つまり、「ネット右翼B」の特質は、思想の「血肉化」「内在化」「存在論化」にある。要するに思想の「土着化」である。



桜井誠在特会の思考は土着化した思考である。思想が血肉化し、内在化している。それは、大学やメディアを通じて学んだような習い覚えの、薄っぺらな知識や思想ではない。生きるか死ぬかの問題と直結した思考であり、思想である。私は、桜井誠と同じような人物を、もう一人知っている。誰か。それは、誰でも知っている竹中平蔵である。私は、竹中平蔵の思考にも「土着化」した強靭な思想の匂いを感じる。


私は、俗に「新自由主義」と言われる竹中平蔵の経済政策や経済理論に賛成ではない。むしろ、一貫して反対している。しかし、私は、竹中平蔵の素早い行動力や強靭な思考力には驚嘆を禁じえない。私は、「竹中平蔵批判」や「新自由主義批判」を繰り返す経済学者や政治家たちにはあまり興味がないが、竹中平蔵には興味がある。竹中平蔵は「思想の土着化」を体現する人物だからだ。


『市場と権力』という「新潮ドキュメント賞を受賞した本がある。作者の佐々木実は元日本経済新聞経済記者らしい。しかし、私は、佐々木実にほとんど興味がない。佐々木は、竹中平蔵を批判するつもりで、竹中平蔵の故郷・和歌山に取材して、氏素性を調べ上げたあげく、書いたかもしれないが、私は、反対の意味で読んだ。


私は、この竹中平蔵批判の本を読んで、初めて竹中平蔵という人物(少年)に興味を持った。竹中平蔵は、善かれ悪しかれ、新自由主義的な構造改革という「思想の血肉化」をやり遂げているように見える。おそらく、構造改革反対派よりも、その思想は強固である。われわれが考えているような、洗脳された愚かな人物ではなくて、「思想の土着化」「思想の血肉化」を成し遂げた、かなり手強い人物だということが分かった。


佐々木実によると、竹中平蔵は、和歌山市 内の「下駄屋の息子」だそうである。佐々木は、この事実を重視している。むろん、私も重視したい。しかし、その解釈は、佐々木と私とでは180度違う。頭もいい下駄屋の息子は、父親の後姿を見ながら育ち、その思想を鍛え上げていった(「思想の血肉化=土着化」)のだろう、と私は考える。大衆の原像」(吉本隆明)を直視しながら成長した少年がそこにいる。


佐々木さんの竹中平蔵少年のようを見る「眼差し」は違う。桜井誠を追う安田浩一の目線と似ている。いわゆる「上から目線」である。私は、これでは、竹中平蔵には勝てない、と思う。私は、佐々木実がどういう経済思想の持ち主か知らないし、知りたいとも思わない。佐々木実の思想は、借り物であり、ニセモノであることは間違いない。佐々木の思想が血肉化(土着化)したものだったら、竹中平蔵少年を見る目も、もう少し、違ってくるはずである。


(続く)



👈応援クリックよろしくお願いします! (続きは、「イデオロギーから存在論へ」「文学や哲学を知らずして政治や経済、軍事をかたるなかれ」がモットーの『思想家・山崎行太郎のすべて』が分かる!!!メルマガ『週刊・山崎行太郎』(月500円)でお読みください。登録はコチラから→http://www.mag2.com/m/0001151310.html