文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

安倍政権は「ネット右翼政権」である。しかし、いわゆる「ネット右翼(A)」と安倍政権的な「ネット右翼(B)」とは少し違う。私は、反社会的存在の可能性を秘めている「桜井誠=在特会的ネット右翼」と、権力や流行に迎合するだけの「安倍晋三=自民党的ネット右翼」とを区別する。そして私は、「桜井誠的ネット右翼(A)」を擁護するが、「安倍晋三的ネット右翼(B)」を擁護するつもりはない。むしろ徹底批判したいと思う。

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安倍政権の周辺にたむろする文化人、言論人、知識人の言動を見れば、安倍政権の本質が見えてくる。たとえば、櫻井よしこ百田尚樹・・・等に象徴される「ネット右翼」文化人たちの言説は、「ネット右翼(B)」を具現化したものであろう。


あるいは、「憲法改正ナチスに学べ」発言や「90以上の老人は死ね」発言などの迷発言を連発する麻生太郎や、「安保法案反対のデモ学生は自己チュー」発言が原因で自民党を離党させられた武藤貴也、「ゲス不倫」の宮崎謙介・・・たちに象徴されるような、安倍内閣自民党の「ネット右翼政治家」たちの言動である。


私は、彼等の言動こそ安倍政権を象徴していると考える。安倍政権の「ネット右翼」的体質を、まったく評価しないどころか、むしろ全否定である。私が、「ネット右翼亡国論」というのは、彼等を念頭に置いている。佐藤優も、『知性とは何か』で、安倍晋三的な「ネット右翼」を、「反知性主義批判」という論理で、厳しく批判している。

安倍晋三政権が軌道に乗ってから、私は、あえて「反知性主義」という言葉を用いて、現在の国内政治や外交を批判することにしている。反知性主義を大雑把に定義するならば、「実証性や客観性を軽視、もしくは黙殺して、自分が欲するように世界を理解する態度」である。
(佐藤優『知性とは何か』)

私も、佐藤優の分析に同意する。佐藤優が「反知性主義」と呼んで批判しているものが、私が「ネット右翼」」と呼んでいるものである。しかし、「反知性主義」や「ネット右翼」を、高学歴や社会的地位などという問題と連動させてはならない。つまり低学歴や無職、貧乏・・・が「反知性主義」や「ネット右翼」の特長だ、と考えがちである。私が批判=否定するのは、そいう先入観=偏見である。


佐藤優も、反知性主義は学歴とは関係ないと、こんなことを書き加えている。

ここで重要なのは、反知性主義と学歴の間にはなんら関係がないことだ。高等教育を受けた者が、反知性主義者になることも珍しくない。/特に政治エリートたちは、知性に基づいた客観性、実証性に拘束されない「物語」を用いたほうが自己の権力基盤の拡大に資するという認識を抱いた場合、反知性主義的傾向を示すことが少なくない。反知性主義は、「とにかく気合を入れて問題を解決する」という決断主義に結びつきやすい。「(同上)

佐藤優は、麻生太郎の有名になった「憲法改正ナチスに学べ」発言を例にとって、最近の自民党政権、つまり安倍政権の周辺に蔓延している反知性主義を告発している。つまり、現代日本反知性主義は、高学歴で、社会的地位のある人間たちの中にこそ蔓延し、病巣を張っているのだ。


さて、桜井誠的な「ネット右翼(A)」と安倍晋三的な「ネット右翼(B)」とでは、何処がどう違うのか?






(続く)


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