文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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「ネット右翼亡国論」とは何か?

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ネット右翼」という言葉がある。普通、否定的な意味で使われる。私も、この「ネット右翼」という言葉を、最初は批判的に捉えていた。多くの「ネット右翼」批判の文章も書いている。しかし、私は、最近、考え方を変えた。安田浩一の『ネットと愛国』を読んでから、私は、「ネット右翼」に関する考え方を大きく思考転換させた。


ネット右翼」は、伝統的な言論文化人とは違う。新種の言論文化人であり、活動家=思想家である。「ネット右翼」とは何か?あらためて、「ネット右翼」の本質について考えてみなければならないと思った。私は、「ネット右翼」と言われている人たちの主張や思想に全面的に賛成しているわけではない。しかし、彼等の思想はともかくとして、彼等の存在に、つまり「ネット右翼」の実存に注目せざるをえないと思う。



ネット右翼」と呼ばれている人たちは、たとえば大学というコミュニティーを基盤とする大学系言論人や、出版社、新聞、テレビなど、大手ジャーナリズム系言論人とは違う。「ネット右翼」は、ネット社会の出現とともに登場した新しい言論文化人である。言い換えれば、社会的地位も名誉もない、つまり無位無官の街頭の言論人=活動家=思想家である。市民社会に受け入られている人畜無害の左翼系市民運動家でもない。


敢えて言えば、「ネット右翼」は左翼過激派に近いと言えるかもしれない。すなわち、「ネット右翼」は、「右翼過激派」と言えるかもしれない。左翼過激派が反社会的存在であったように、「ネット右翼」という右翼過激派も、おそらく反社会的存在である。私は、そこに実存的関心と思想的興味を持つ。


ギリシャ哲学に「アゴラ」という言葉がある。「アゴラ」とは広場である。「ネット右翼」は 、「アゴラ」の人であるソクラテスに近い。つまり、大学系言論人や大手ジャーナリズム系言論人をプラトン的という意味で、「ネット右翼」はプラトンではない。ソクラテスである。ソクラテスそのものではなくとも、少なくとも「ソクラテス的」ではある。



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私は、「桜井誠」や「在特会」についての批判的な論考、安田浩一の『ネットと愛国』(講談社)を読んでから、考え方を変えた。『ネットと愛国』は、桜井誠在特会を、犯罪者か犯罪集団のように描き出そうとしている。「ヘイトスピーチ」や「ヘイトスピーチ取締り法」へとつながる論理である。私は、無条件に擁護しようとは思はないが、安田浩一有田芳生の「考え方」にも批判的、否定的である。



ギリシャ哲学に「アゴラ」と言う言葉がある。「アゴラ」とは広場のことである。「民会」と対になっている言葉だ。つまり、議会や国会に当たる民会に対して、広場の大衆集会でしかないのが「アゴラ」である。要するに、「ネット右翼」とは、アゴラである。アゴラに集まる無位無官の一般大衆が「ネット右翼」である。



柄谷行人は、『哲学の起源』で、ソクラテスプラトンの差異について、書いている。ソクラテスは「民会」の人ではなく「アゴラ」の人だった、と。

注目すべきことは、彼が民会に行くかわりにアゴラに行ったことである。アゴラには、決して公人とはなりえないような人びと、すなわち、外国人、女性、奴隷がいた。民会にデモクラシーがあるとすれば 、アゴラにはイソノミアがある。つまり、アテネでは、アゴラにしかイソノミアはありえなかった、といってもよい。ゆえに、もっぱらアゴラで活動することによって、彼はそうと知らずにイソノミア的思想を回復させたのである。

(柄谷行人『哲学の起源』)


柄谷行人は、ソクラテスプラトンの差異を重視する。それは「アゴラ(=広場)の人」か「民会の人」かの差異である。ソクラテスアテネ市民の怒りをかって逮捕・処刑されたのは、民会を拒絶し、アゴラ(広場)に行って、そこで言論、討論、対話を行ったからである。それは、アテネアテネ市民の「デモクラシー」を拒絶し、イオニアの「イソノミア」を回復することだった。これが、柄谷行人の考えている「ソクラテスプラトンの差異」である。


さて、現代の日本で、ソクラテス的な人とは、どいう人だろうか。逆にプラトン的な人とは、誰か? 私には、大学系言論人や大手ジャーナリズム系言論人 、あるいは左翼市民運動家たちが、「ソクラテス的な人」とは思えない。彼等は、議会や国会を重視する「プラトン的な人」たちのように見える。



誤解を恐れずに言えば、桜井誠在特会など、いわゆる「ネット右翼」と呼ばれている人たちこそ、「ソクラテス的な人」に相応しいのではないのか?国会や議会を重視する国家議員や左翼市民運動家たちの支援を受けて、「ヘイトスピーチ法」が制定され、その取り締まりの主な対象になっているのが、桜井誠在特会など、「ネット右翼」と呼ばれている人たちである。


私の「ネット右翼亡国論」は、ここから始まる。私は、「ネット右翼」を、便宜上、大きく二つに分類した上で議論したい。桜井誠在特会などに象徴される「ネット右翼」と、安倍政権や、安倍政権の周辺に屯する「ネット右翼」と。もちろん、私は、安倍政権や安倍政権の周辺に屯する「ネット右翼」を厳しく批判、告発したいと思うが、桜井誠在特会などのような「ネット右翼」の方は、擁護したいと思う。



橋下徹大阪市長(弁護士」と桜井誠が、大阪の某所で、マスコミ公開の元に、「ヘイトスピーチ」をめぐって対決、討論、論争したことがあった。物別れに終わったが、私には、有意義で、面白かった。興味本意で面白かったのではない。思想的な意味で面白かったのである。他人はどう思ったか知らないが、少なくとも私は、明らかに、あの対決は、桜井誠の勝ちだと思った。私だけではない。たとえば、佐藤優も、それを認めている。



私見によれば、橋下徹桜井誠の対決は、「プラトンソクラテス」の対決だった。実質的には討論はソクラテス(桜井誠)の勝利だったが、その後の展開を見るまでもなく、プラトン(橋下徹)の勝利、ソクラテス(桜井誠)の負けということになるのかもしれない。「ヘイトスピーチ法」によって、桜井誠は、ソクラテスのように、様々な法律によって、有罪判決を受けることになると思われる。

(続く)


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