文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

佐藤優との対話(1)−戦後的ヒューマ二ズムと戦前的テロリズム。


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戦前の思考と戦後の思考との差異は何処にあるか。言い換えれば、戦後思想に欠如しているものは何か。私見によれば、哲学的、宗教的思考が戦後日本の思想には欠如している。丸山眞男に象徴される戦後民主主義という戦後思想は、戦前の哲学的=宗教的思考を否定し、政治学や経済学、あるいは社会学などの社会科学的思考を思想的な準拠枠として来た。


戦後思想は「生きること」を重視するヒューマニズムを思想的原点にしている。戦前の日本の思想は、「生きること」だけではなく、「死ぬこと」や「殺すこと」をも念頭においた「存在論的思想」であった。


私は、「月刊日本」の企画で「佐藤優氏との対話」を続けてきたが、また近く、対話を行う予定だ。私が、佐藤優にこだわるのは、佐藤優が、戦後の「社会科学的思考」を批判的に乗り越え、「哲学的」、「宗教的思考」を復権しようとしている「思想家」だからだ。それを一言で要約したのが、「人を殺す思想こそ本物だ」というフレーズである。


佐藤優という思想家は、「キリスト教的思考」と「マルクス主義的思考」を基本思想としている。しかし、同時に戦前の右翼思想や京都学派の哲学、あるいは「太平記」「神皇正統記」「国体の本義」というような、戦後、無視され、唾棄されてきたような思想や著書を再評価し、それらの思想を思考の根拠にしている。


具体的に言えば、佐藤優は、学徒出陣を哲学的に正当化し、「死の哲学」を根拠づけた田辺元の哲学や、「殺すこと」を正当化した革マル黒田寛一の哲学を、その「内在的論理」において、受け止め、理解しようとしている。


言い換えれば、佐藤優は、ファシズム軍国主義、あるいは全体主義という思想を、単純に、「絶対悪」として批判し、排斥するのではなく、そういう思想の積極的、肯定的要素にも注目する。私は、そういう危険な思想に敏感に反応する佐藤優という思想家に注目する。私が、「佐藤優との対話」を繰り返すのは、危険な「存在論的思考」を実践している思想家をそこに見出すからだ。


(続く)

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