文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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人間中心主義=ヒューマニズムがテロリズムをもたらすー佐藤優論(6)。

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ヒューマニズムテロリズムは、対立する概念ではない 。人間中心主義がテロリズムをもたらす。現代思想現代文学地盤沈下、貧困化、衰弱化の原因の一つは、テロリズムヒューマニズムと対立する反対概念だと錯覚しているところにある。つまり、「ファシズム」にしろ「ナチズム」にしろ「スターリズム」にしろ、「20世紀の絶対悪」は、ヒューマニズムがもたらしたのだが、単純素朴な左翼的、あるいは市民主義的ヒューマニズムで、それらが克復できると安易に考えるところに、現代思想現代文学の堕落がある。


私は、世代的には、全共闘世代で、いわゆる「内ゲバとテロの世代」でもあるが、当時、その頃の議論や思想的言説の中で、私が強く違和感を感じたものに、ヒューマニズムの観点から内ゲバテロリズムを批判する「良心的な左翼的言論」があった。たとえば、高橋和巳の「暗殺の哲学」、あるいは笠井潔の「テロルの現象学」。私は、その善意や良心を批判するつもりはなかったが、かなり強い違和感を感じた。


私は、門外漢に過ぎなかったが、「良心的な」「善意の」・・・左翼的な思想家や文学者たちよりも、むしろ内ゲバやテロの実行者やその関係者たちの「苦渋に満ちた沈黙」に共感した。私は、「三島由紀夫事件」に対しても「連合赤軍事件」に対しても、そして「内ゲバ」に対しても、あるいは「ロッド空港事件」に対しても、私は、共感しつつ沈黙した。テロ擁護論を公言する勇気がなかった。しかし、一方で、それを批判する良心的な文化人たちを、「いい気なものだ」と激しく軽蔑し、憎悪した。


私は、かっての左翼過激派の指導者で、「赤軍派議長=塩見孝也」と、数年前に、某雑誌の企画で対談した。私が希望したのである。私は、連合赤軍事件や赤軍派などについて聞きたかったが、話は、その頃、塩見氏が取り組んでいた「脱原発論」に終始した。むろん、それで充分だった。私は、塩見孝也という「巨魁」に会ってみたかったのである。私が、若い時から、興味を持っていた人物の一人だったからだ。私は、政治的立場は対極にありながら、「塩見孝也」という人物をひそかに尊敬し、畏怖していたのだ。


さて、私は、最近、佐藤優の「ヒューマニズム」や「テロリズム」に関する言説を読んで、初めて、これらの事件を、思想的に語れる人が現れたと思った。佐藤優は、テロやテロリズムを批判していない。佐藤優は、ヒューマニズムというインテリや文化人の安易な逃げ道に逃げ込んでいない。要するに、テロやテロリズムの「内在的論理」を追求している。何故、人間はテロやテロリズムを、口先では批判しながら、いつのまにか夢中になり、テロや暴動や戦争を繰り返すのか。人間性そのものに暴力や人殺しの無意識の欲望が潜んでいるのではないか。佐藤優の発言には、そういう根源的な問いがある。


佐藤優は、田辺元黒田寛一(クロカン)を、「人を殺す思想」の創造者として、同列に論じている。むろん、単純に、市民主義的ヒューマニズムの観点から批判し、否定しているのではない。私は、田辺元黒田寛一とまともに向き合う佐藤優という思想家を、現代、稀に見る「危険な思想家」だと思う。「危険な思想家」、あるいは「危険な文学者」こそ、本物だ。

(続く)


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