キリスト教はアンチ・ヒューマニズムであるー佐藤優論(5)。
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佐藤優は、務台理作のヒューマニズム論を分析つくして、ヒューマニズムのパラドックスを明らかにしている。戦争や暴力に反対し、人間や人間性を肯定し擁護するはずのヒューマニズムは、まさにヒューマニズムを徹底化するが故に、結果的には、暴力や戦争、革命を擁護することになる。そこには明らかに自己矛盾がある。ヒューマニズムという人間主義の限界である。そこで、佐藤優は、キリスト教はアンチ・ヒューマニズムであるという。
植民地あるいは半植民地が民俗開放のために引き起こす独立戦争は許されるのかどうか、それもまた戦争の故をもって否定されるのかという疑問が出ることと思います。一切の直接的暴力行為を否定するヒューマニズムの立場にあるからこの問題をどう考えるべきであるのか。(中略)ここで私たちの関係した範囲で論じますと、ほんとうの独立のための戦争、正義のための戦争は正当化され許されるべきだと思います。というのは、植民地の存在というものはもともと先進国の帝国主義侵略から出たものだからです。これに抵抗するのは、その民族の正当の権利であり、世界の輿論もその独立に協力する傾向を強めているからです。
この務台理作のヒューマニズムの論理に、自己矛盾があることは、おそらく誰にでも分かる。言い換えれば、務台理作の論理の延長には独立戦争もテロリズムも許されるということになる。つまり、暴力を否定するはずのヒューマニズムが、新しい暴力を許容することになる。
務台理作は、政治が悪いとすれば、あるいは資本主義と結びついた帝国主義的な政治体制が悪いとすれば、革命をやって資本主義を解体し、社会主義にすれば良くなるのだと、言っているらしい。佐藤優は、この務台理作のヒューマニズムの原理に依拠する革命論、社会主義革命論を、「スターリズム」だと言って、批判している。当然である。
(続く)