文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

佐藤優論、ヒューマニズムからテロリズムへ。


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私には、今、尊敬し、畏怖する思想家や文学者がいない。多くの思想家や文学者が活躍しているようだが、ほとんどが、甘い「ヒューマニズム幻想」に幻惑され、思想家や文学者に不可欠な「毒」や「悪」を喪失している。つまり思考の原理性、思考の過激性、思考の徹底性・・・を喪失している。


今の思想家や文学者には、「毒」や「悪」を恐れない思考の過激性がない。たとえば、ハンナ・アーレントは、ナチズムやスターリン主義に象徴される「20世紀の悪」を「全体主義」と呼び、それを批判している。そして多くの思想家が、ハンナ・アーレントを高く評価している。私には、ハンナ・アーレントの思考は凡庸にしか見えない。


「20世紀最大の哲学者」と呼ばれるハイデッガーに私が拘りたいと思うのは、ハイデッガーがナチズムと親和的であったからである。異論もあるが、ハイデッガーはナチズムを安易に批判などしていない。むしろ擁護している。私は、そういうハイデッガーの思考のラデイカリズムが好きだ。


私が、「佐藤優という思想家」に惹かれるのは、佐藤優の言動に、例外的に、危険で物騒な「毒」や「悪」のリアリテイーを甘受するからだ。要するに、佐藤優の文章や言説には「テロリズム」の匂いがする。佐藤優の「人を殺す思想は本物だ」という言説は、まさしく「テロリズム擁護論」、あるいは「テロリスト待望論」を彷彿とさせる。


佐藤優に『先生と私』という珍しい著書がある。佐藤優が小学のころから通い始めたという「山田義塾」という学習塾の先生たちとの交流を描いている。その頃は、学校教育の荒廃が目立ち始め、学級崩壊や登校拒否が社会問題となると同時に、学習塾という民間教育組織が、小中学校の教育現場に、「異物」として登場してきた時代だった。


山田義塾」は、その中でも有名な学習塾の一つだった。テレビにも山田義塾の学習風景や合宿風景が、度々登場した。まだ進学塾が異端視される時代だった。佐藤優は、そういう学習塾=進学塾の教師たちとの交流から、学問や思想を教わったという。つまり佐藤優は、学校という公教育ではなく、それまで日陰の存在でしかなかった学習塾=進学塾育ちの新世代の子供だったと言っていい。


さて、その『先生と私』の中に、印象的なエピソードが記されている。「あさま山荘事件」のテレビ中継を、小学校で、教師の指導の元に、見たという話だ。おそらく女教師は、「ああ、なってはいけないよ」という道徳的な教育指導の一環として見せたのだろう。


日本国民の多くも、そのテレビ中継の画面に釘付けになった。そして、佐藤優が、この事件について母親とかなり深刻な話をしたというエピソードである。


佐藤優の母親は、佐藤少年を捕まえて、「もし、あんたが、過激派になって同じようなことをしたら、あんたを殺して自分も死ぬ」と宣告したという。私は、このエピソードを記す佐藤優の文章に、ある危険な匂いを、つまり過激派に飛び込み、発砲しかねないテロリズムの匂いを感じる。その直後から、佐藤少年は、山田義塾=早慶学院の教師たちの導きで、マルクスマルクス主義に目覚めるのだ。


実は、私も、この「あさま山荘銃乱射事件」や、あるいはその後、明らかになった「連合赤軍リンチ事件」、あるいはその直前の「三島由紀夫割腹自決事件」などに深い思想的影響を受けている。この時、日本の左翼は、一連の「テロ事件」から逃げた。そこには左翼的ヒューマニズムがあったと言っていい。その後、テロリズムと決別した左翼が、思想的に後退に後退を余儀なくされたことは、歴史が証明している。


昨日は「憲法記念日」だったらしい。私は、憲法の成立過程の「暗い密室のドラマ」には興味あるが、「平和憲法」や「護憲」「改憲」というような言葉や議論にもほとんどが興味ない。「戦争法」がどうの、「戦争への道」がどうの、という議論にもほとんどが興味がない。私が、安倍首相等の「憲法改正論」に関心がないのは、「戦争」や「革命」「暴動」「テロリズム」を直視した議論ではないからだ。


佐藤優で、私が注目するのは、戦時中、出陣式学徒に、「戦争で死ぬことは歴史に参加することだ」「死んで来い」という趣旨の散華のメッセージを送った哲学者=田辺元を、批判的ながらも再発掘したことだ。田辺元は、西田幾多郎の後継者である「京都学派」の重鎮であったが、彼を再評価しようとする人は、あまりいない。田辺元は、戦後思想では、タブーである。それを掘り起こす佐藤優。私は、そこに、佐藤優の思考のラデイカリズムを感じる。


さらに、佐藤優は、『国体の本義』の橋田邦彦も再評価している。戦前の大日本帝国を理論的に正当化した本である。橋田邦彦は、終戦直後に自殺している。私は、佐藤優の本を読むまで、橋田邦彦について知らなかった。


田辺元にしろ、橋田邦彦にしろ、あるいは大川周明にしろ、佐藤優が、次々と紹介する「思想家」たちには、特徴がある。それは、「思考の徹底性」、あるいは「思考の過激性」の所有者だということだ。そこには、ヒューマニズムの嘘に満足できない過激性がある。佐藤優の文体から「テロリズム」の匂いを感じるのは、そいう時だ。
(続く)






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安倍政権は「ネット右翼政権」である。安倍政権の正体を知りたければ、これを読むべし。最近の日本の「保守」は「エセ保守」ばかり。山崎行太郎著『保守論壇亡国論』と、佐高信氏との対談集『曽野綾子大批判』は、安倍政権とそれを支持する現代日本人の「思想的劣化」=「政治的劣化」=「反知性主義化」を哲学的に分析・解明しています!

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