文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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小保方事件とトーマス・クーンの『科学革命の構造』について。

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小保方事件は、当初、「研究不正事件」として論じられることが多かった。画像や引用論文の盗用や使い回しなど、「科学研究者」として、最低限の守るべきルールを守っていない、という批判である。しかし、それらは、「近代科学主義」が主張し、前提することになったルールでしかない。「私有権」や「著作権」などと同様であろう。


私は、「研究不正事件」として小保方事件を論じることには、ほとんど興味がない。私が関心を持ったのは、「科学とは何か」「科学者とは何か」というような、近代主義的な科学論を超えた問題だった。


私の学生時代に、トーマス・クーンの『科学革命の構造』が話題になっていた。私は、哲学科の学生だったし、その当時、分析哲学論理実証主義、あるいは科学哲学が哲学の大きな勢力になっていた。私も、それらに関心を持ち、その種の書物を探し出して、手当たり次第に読んでいた。


それらの本の中で、最も印象的で、深い影響を受けた本が『科学革命の構造』だった。トーマス・クーンは、科学も科学論も、時代によって変化し、変容して行くと論じている。科学も科学論も、固定してはいないということだ。この問題は意外に深い意味を持っている。


トーマス・クーンは、「科学革命」と「通常科学」を区別して論じている。言い換えれば、科学は、科学革命の時代を経て進歩=発展し、やがて通常科学の時代に入ると、新しい科学理論が一般化し、通俗化し、定着していく。そして通常科学の時代が長く続く、というわけである。通常科学時代の常識、つまり通常科学の時代に一般化する科学論や科学者論は、科学革命の時代には通用しない。


小保方事件を、「通常科学」のレベルで論じるとおかしなことになる。小保方事件は、「科学革命」のレベルの事件だからだ。

(続く)



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