文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

北村稔の「独断」と「思い込み」と「偏見」の歴史学。北村のトンデモ理論を借用し、「南京大虐殺はなかった論」を頑強に主張する櫻井よしこ。ー櫻井よしこにおける「ネット右翼」の研究(12)。

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『 「南京事件」の探究―その実像をもとめて』 (文春新書)における北村の歴史的推論には歴史学者とは思えないような稚拙な独断と思い込み、偏見があふれている。たとえば、ティンパーリーだけが東京裁判に出廷しなかったのは、「工作員(スパイ)」という身分を隠したかったからだろうと言う。幼稚な憶測である。ティンパーリーは、南京事件の直接の目撃者ではなく、目撃証言や伝聞情報の取集=整理役にすぎなかった。法廷に出廷しなかったのは、ティンパーリーが、現場の目撃者でも証言者でもなかったからではないのか。何故、「工作員(スパイ)だったから、身を晦ましたのだろう」と推論するのか。ティンパーリーは、その後の経歴も職歴も明らかである。身をくらましてなどいない。

日本人の場合は例外であるが、「世界の常識」に従えば、新聞記者の仕事はその性質上、情報工作(諜報といってもよい)と容易に関係してしまうものである。ソ連のスパイであった有名なゾルゲなどが典型である。ティンパーリーも情報工作の仕事に関係し、それゆえthe dictionary of national biographyには故意に収録されなかったのではないか。あるいは情報工作者ゆえに、新聞の死亡記事以上の詳細な個人情報が得られなかったのではないか。情報工作者が身元を秘すのは「世界の常識」であろう。このように考えると、ティンパリーの著作に登場する多くの欧米人が「南京大虐殺」を裁く南京や東京の法廷に出廷したにもかかわらず、ティンパーリー自身が全く姿を現さなかった事にも説明がつく。姿をくらましていたのである。
(北村稔『 「南京事件」の探究―その実像をもとめて』 )

以上のように、北村は、根拠なき推測や断定を繰り返している。「根拠」になっているのは、『曾虚白自伝』の自慢話(ホラ話)を真に受けた「ティンパーリー=工作員スパイ説」という仮説である。北村は、『 「南京事件」の探究』の冒頭から、「歴史研究の基本に立ち戻るしかない」とか「歴史研究の原則は、可能な限り原資料に当たることである」などと、美辞麗句を並べて、あたかも北村の『 「南京事件」の探究―その実像をもとめて』 は、それを実践しているかのような書き方をしているが、本文を精読していくと、『曾虚白自伝』という第二次資料を根拠に、「ティンパーリー=工作員(スパイ)説」という「仮説」を盲信した上に、「憶測」や「推測」を繰り返し、歴史学的根拠なき断定が異常に多いことに気づく。北村の『 「南京事件」の探究―その実像をもとめて』 は、歴史研究にあるまじき羊頭狗肉の書であり、政治的プロパガンダ本であることが分かる。


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