文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「南京事件の探究」で売り出した北村稔は「歴史研究者失格」である。その資料分析とテクストクリテイークは、まったくのデタラメ。よく立命館大学教授が務まるものだ。北村のデタラメを指摘する同僚や学生は一人もいないのか?その北村の「妄想的南京事件論」を盲信し、「南京大虐殺はなかった論」の根拠にしているのが櫻井よしこ。櫻井よしこに「日本人よ、『歴史力』を磨け」と言われても、返事に窮する。もっと本を読めよ。ー櫻井よしこにおける「ネット右翼」の研究(11)。い

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櫻井よしこは、『異形の大国 中国』(平成20年)で、ティンパーリについて、こう書いている。


ちなみに、南京戦当時、ティンパーリーが南京にいた事実はない。現場にいなかったにもかかわらず、日本軍による南京大虐殺の根拠となった作品を著したティンパーリーとはどういう人物か。

さらに、次のように書いている。

長い間の謎を解いたのが鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)であり、北村稔氏の 『「南京事件」の探究―その実像をもとめて 』(文春新書)である。
両氏の研究は、ティンパーリーが蒋介石の国民党が宣伝工作用に雇った人物で、国民党中央宣伝部の顧問だった事実を、初めて明らかにした。中央宣伝部の下には国際宣伝処が設けられ、彼らは南京事件に関しても暗躍した。その様子は、国際宣伝処長の曾虚白の自伝などに基づいて、次のように書かれている。
(櫻井よしこ『異形の大国 中国』)

この文章には、櫻井よしこ本人は気づいていないが、重大な問題がある。櫻井よしこは、「ティンパーリーは、南京にいた事実はない」と明言している。その上で、「ティンパーリーは、国民党政府に雇われた工作員だった」という北村説を盲信しているらしく、それを強調している。ここに、矛盾はないのか。実は、ある。ティンパーリーは、当時、南京にはいない。上海にいた。ところが、「ティンパーリ=工作員説」を主張する北村説のポイントは、「ティンパーリーは、南京にいた・・・」というところにある。北村は、 『「南京事件」の探究―その実像をもとめて』で、「ティンパーリーは北京にいた」と曾虚白が『曾虚白自伝』に書いていることを、自明の前提にしている。つまり、北村の工作員説を盲信する櫻井よしこの「ティンパーリーが南京にいなかった」という主張は、北村説とも矛盾する。これは、櫻井よしこが、北村の本をちゃんと読んでいないか、飛ばし読みしたことを意味する。北村や曾虚白の説(ストーリー)では、当時、「ティンパーリーは、南京にいた」ので、そこから呼び寄せ、金を提供して、『戦争とは何か』を書かせた・・・という話なのだ。ティンパーリーが、当時、南京にいたかいなかったかは重要なポイントである。櫻井よしこは「南京にいなかった」と言い、北村や曾虚白は「南京にいた」と言っている。北村は、その証明を、当時、日本外交官補だった福田篤泰からの「聞き書き」(板倉由明)から行っている。日本の外交官・福田篤泰が、「当時、ティンパーリーは南京にいた」と証言しているというわけだ。何故、わざわざ、福田篤泰の証言が必要だったのか。『曾虚白自伝』に、ティンパーリーは南京にいて事件を目撃したと書いているのに。実は、ティンパーリーは目撃者ではない。ティンパーリの著書は『戦争とは何か』は、直接の目撃証言ではなく、南京事件の目撃証言を収集し、まとめたものにすぎない。南京事件直後、ティンパーリーが「南京にいなかった」ことは、そのことからも分かるはずだ。(続く)



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