文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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櫻井よしこと北村稔、あるいは北村稔著・『「南京事件」の探究』の政治学

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南京事件論争」に関して、櫻井よしこが全面的に依拠する『「南京事件」の探究』の著者・北村稔(立命館大学教授)は、歴史学研究の中立性、客観性、非政治性・・・を強調しているにもかかわらず、櫻井よしこが主宰する「国家基本問題研究所」という名の政治運動団体の理事に名を連ねている。北村は、「南京大虐殺事件はなかった論」を主張する団体の理事なのである。このことは、北村が、極めて政治的、党派的な人物だということが分かる。北村にとっては、中立的、客観的な「歴史学研究者」の顔は、世の中を欺く「隠れ蓑」にすぎないのではないか?北村が、積極的に、「ネット右翼」的な保守=右翼的な政治運動に加担し、参加していることを批判するつもりはない。誰が、どんな政治思想の所有者か、どんな政治運動団体の一員かは、自由である。勝手にすればいい。しかし、「歴史学研究者」を売り物にするのは、どういうものだろうか?たとえば、北村は、くりかえし、次のようなことを書いている。

歴史研究の基本に立ち戻る。ーーー


あれこれ考えて筆者がたどり着いたのは、結局は歴史研究の基本に立ち戻るしかないということである。ーーー


これに対して筆者の言う歴史研究基本に立ち戻る研究とは、「南京での大虐殺」が<在った>か<無かった>かを性急に議論せずに、「南京で大虐殺があった」という認識がどのような経緯で出現したかを順序立てて確認するのである。ーーー
(北村稔『「南京事件」の探究』)

なるほど、ご立派な決意である。資料収集や文献の実証的研究にのみ専心し、「南京事件は在ったか無かったか」というような政治的な大問題には踏み込まないというわけだろう。しかし、北村の著書は、文藝春秋から出版されるやいなや、同じ出版社の保守系オピニオン雑誌「諸君!」に紹介され、「南京事件まぼろし派」、あるいは「南京大虐殺はなかった派」の面々は、つまり櫻井よしこらは、援護射撃しつつ、怪気炎を挙げている。これは、北村が、どんな綺麗事を羅列しようとも、すでに出版の段階から、十分に政治的だったことを意味している。北村は、外国人特派員協会かどこかにも登場し、「南京大虐殺はなかった論」を展開したらしい。北村の「中立性」や「客観性」は、羊頭狗肉のタテマエ論にすぎない。さて、北村が発見したと大騒ぎした資料は、台湾で出版された『曾虚白自伝』である。そこに、問題の人物、ティンパーリーの経歴や職務などが書かれているというのだ。要するに、「南京大虐殺」を最初に報じたティンパーリーは、マンチェスター・ガーデイアン特派員という肩書きは「表向き」で、実は、中国・国民党政府に雇われた海外向けの宣伝工作員であったということが書かれているらしい。『曾虚白自伝』は、1988年に台湾で出版されている。北村は、こう書いている。

このあと筆者は、極めつけの資料として台湾の友人がもたらした曾虚白の『自伝』を入手した。1988年に台北で出版された(上)、(中)、(下)の三冊からなる『曾虚白自伝』(聯經出版事業公司)であり、(上)
冊には日中戦争中の国際宣伝処の活動内容が赤裸々に記述されている。

『曾虚白自伝』の記述が重要だということは分かるが、「1988」年に出版されたとということからも明らかなように、「原資料」「第一次資料」とは言い難いのではないか?「嘘」や「虚偽」が書いてあるとは言わないが、「記憶違い」や「誇張」「自慢話」の要素が入り込んでいないという保証はない。北村が自慢するように、決定的証拠とは言えないのではないか?まして、台湾で、1988年に出版されているのだ。政治的配慮がないとは言えないだろう。北村は、「ティンパーリー=国民党政府に雇われた工作員」という仮説に固執するあまり、「推測」に「推測」を重ねていく。他にも、北村の文章には、「推測」や「憶測」に基づく分析が多すぎるように見える。北村こそ、「歴史研究者」の原理原則を踏み外しており、「歴史研究者失格」なのではないか、と思う。


(続く)






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