文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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ライトな「ネット右翼」とデイープな「ネット右翼」。櫻井よしこは典型的な「ライトなネット右翼」である。ー櫻井よしこにおける『ネット右翼』の研究(7)。

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ろくに資料や文献に眼を通すこともなく、断定的口調で、「受け売り」と「知ったかぶり」を繰り返し、挙句にボロを出しまくる「ライトなネット右翼櫻井よしこ」に対して、桜井誠は「デイープなネット右翼」だと言っていいだろう。全面的に擁護するつもりはないが、無視・黙殺すべきとも思はない。桜井誠には、我々、戦後の日本人が失った何かがある。「ヘイトスピーチ」や「排外主義」、「偏狭なナショナリズム」と、蛇蝎の如く嫌われ、批判・罵倒される桜井誠だが、私は、安田浩一の『ネットと愛国』『ヘイトスピーチ』や、樋口直人の『日本型排外主義』など、桜井誠を批判・侮蔑する「ヘイト批判本」を読むうちに、桜井誠という存在に対する思想的認識を改めた。桜井誠櫻井よしことでは、同じ「ネット右翼」でも、区別しなければならないと思った。そもそも「櫻井よしこ批判本」が一冊も出ていないのは、何故か?それに対して、何故、「桜井誠批判本」が何冊も出るのか。言うまでもなく、櫻井よしこの言動には、論ずるに足る思想価値が欠如しているからだ。たとえば、櫻井よしこの「南京事件論」は、ほぼ北村稔の『「南京事件」の探究』の「受け売り」であり、「パクリ」である。櫻井よしこの「南京事件論」を批判するためには、北村稔の本を読んで、それを批判しない限り無意味だ。同じことが、「憲法改正論」にも言えるが、こちらは、安保法制論議でも登場した憲法学者=西某の「受け売り」であり、「パクリ」である。櫻井よしこの場合、これは、あらゆる問題について、言えることだ。「靖国神社A級戦犯合祀問題」は、田久保某等の「受け売り」であり「パクリ」であった。何一つとして、櫻井よしこが自分の頭で考え、自分の言葉で論陣を張ったという例はない。ところで、櫻井よしこは、桜井誠や「在特会」のヘイトスピーチや排外主義的な言動や政治運動を批判しているようである。日本の「保守・右翼運動」にふさわしくないというわけだろう。つまり、櫻井よしこの「保守・右翼的言動」は「キレイな保守・右翼的言動」、言い換えれば、「ライトなネット右翼」だと言いたいのだろう。笑止である。これは、櫻井よしこの思想が、内発的なものではないと言っているにすぎない。(続く)




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