文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「上からの哲学」と「下からの哲学」ー櫻井誠と廣松渉(2)ー「在特会」と「物象化論」の哲学。


私が愛読する吉本隆明の『転向論』のテーマは「大衆の原像」だが、それは、要約すると、民衆や土地、風土いう人間存在の土壌の深くに根ざしていない思想は駄目だと言うことである。私は、「右翼過激派」の櫻井誠と「左翼過激派」の廣松渉の存在を考える時、この「大衆の原像」という言葉を思い出す。私見によれば、櫻井誠も廣松渉も、土地や習俗、あるいはお大衆や民衆に根ざした思想家である。たとえどういう状況に追い込められたとしても、転向することがあるとは思えない思想家だと思う。私は、安田浩一のネットと愛国を読んでから、「櫻井誠」という怪しい右翼活動家に親しみを感じるようになった。櫻井誠と廣松渉を比較するのは、私の趣味だが、まんざら荒唐無稽とはいえないだろう。逆に、たとえば、「学者の会」や「憲法学者」や「芸能人」まで立ち上がり、巨大な大衆運動に盛り上がった「反安保法制デモ」に若干に違和感を感じたのだが、それは、あのデモが、「大衆の原像」に根ざしたものではなく、「上から目線」で、民衆を見くだすかのような「上から目線の哲学」にもとずくものだったように見えたことだった。特に、全国の大学教授たちが「学者の会」なる集団を結成し、小学校の学級会並みに勢揃いし、「安保法制反対」なる記者会見を行うと同時に、途中から、盛り上がり始めたデモに参加、デモの成果を横取りするかのように、デモを主導し始め、「ようやく日本にも民主主義が定着し始めた」などと言い始めたらしいと分かった頃から、強烈な違和感を感じ始めた。彼らも、もとはといえば、それなりに思想的には「土着派」なのだろうが、やっていることは、小市民的似非インテリそのものである。私は、そういう上昇志向似非インテリに、ほとんど興味がない。むしろ、櫻井誠のような、地位も肩書きもない、怪しい右翼活動家の方に関心がある。櫻井誠には「存在論」がある。



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