文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

稲村公望さんの『黒潮文明論:民族の基層と源流を想う』(彩流社)を読む。


日頃、親しくさせていただいている稲村公望さんは、私とは同世代で、郷里も同じく鹿児島県で、ただし徳之島の出身である。高校は違うが、同じ時代に鹿児島市内で、高校生活を送った仲である。もちろん、劣等生の私とは異なり、稲村さんは、ラサール高校から東大法学部に進学、東大時代は、鳩山邦夫や舛添洋一等と主席争いをした仲らしい。東大に残るように誘われたが、それを蹴って、郵政省へ。郵政官僚として「郵政民営化」に徹底抗戦し、郵政省を追われたという輝かしい経歴(?)の持ち主である。その後、「日本郵便」副会長となるが、そこも追われ、現在、中央大学客員教授で、私と同じく、「月刊日本」で、「反郵政民営化」「反自由主義」「反グローバリズム」・・・の論陣を張っている。その稲村さんから、先日、大著『黒潮文明論』を贈っていただいたので、紹介したい。「井川問題」にかかずらわっているうちに、紹介が遅くなってしまった。むろん、稲村氏の『黒潮文明論』は、かっては琉球王国の一部であった奄美の徳之島の出身ということもあり、その「奄美・徳之島」を原点に展開する黒潮文明論であって、「井川問題」とも無縁ではない。実は、稲村氏と交わした最初の会話で、印象的だったのは、「薩摩は敵です。」「奄美は鹿児島ではありません。」という言葉だった。しばらく、その意味がわからなかった。普通の鹿児島県人で、「薩摩の奄美侵攻」や「琉球侵攻」を正確に知っている人は少ない。私も例外ではなかった。稲村氏は、1609年の奄美琉球侵攻、軍事征圧事件のことを言おうとしていたのだ。稲村公望氏の『黒潮文明論』も、この薩摩の奄美侵攻の話から始まっている。奄美琉球=沖縄の人間には、忘れようとしても、忘れられない歴史であり、大事件なのであろう。『黒潮文明論』の冒頭の文章で、稲村公望氏は、こう書いている。

《九州から台湾に連なる島々を南西諸島と呼んでいる。平成二一年は薩摩藩琉球侵攻に乗り出してから四〇〇年目にあたる。琉球侵攻の結果、与論島までの奄美は、激しく抵抗したが空しく薩摩の直轄地となった。薩摩の実質的な支配の下で、支那の帝国との朝貢関係を続ける王朝は温存され、奄美は沖縄島以南の宮古八重山などとも切り離された。奄美の島々は明治維新の後も、鹿児島県に帰属することになる。
大東亜戦争の後も沖縄が米軍占領下にあり続ける中で、明治二八年に本土復帰を果たし、奄美と沖縄などの南部琉球とは、三度切り離なされた。奄美の本土復帰運動は、日本人の民族自決の民族運動で、異民族支配に対する抵抗であったことは疑いの余地がない。》
(『黒潮文明論』)

(続く)



稲村公望著『黒潮文明論:民族の基層と源流を想う』(Amazon)'

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4779121604?ie=UTF8&at=&force-full-site=1&ref_=aw_bottom_links


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ

稲村さんと、新橋駅前SL広場で。





人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ