文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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井川一久よ、何故、1609の「薩摩の琉球侵攻」を、「琉日戦争」と呼んではいけないのか?


井川は、佐藤優氏が、薩摩藩軍隊による「琉球侵攻・征圧事件」を「琉日戦争」と呼んだことを、沖縄・琉球史に「無知」だと批判罵倒している。井川が、薩摩藩による侵略、征圧事件を、「琉日戦争」と呼びたくなければ呼ばなくていいだろう。井川は、「戦火」を交えていないから戦争ではないと言いたいのであろう。しかし、独立国同士が、軍事的に征圧したり、征圧されたりすることは、規模はどうであれ、立派な戦争だろう。少なくとも、佐藤優氏が、「琉日戦争」と呼んだことは重大だろう。それだけ、この薩摩侵略事件を重視しているのだろう。そもそも、「琉日戦争」という言葉を使ったのは佐藤優氏が最初ではない。若手の沖縄史研究研究者の上里隆史に『琉日戦争』という書物もある。井川が知らないだけである。井川は、薩摩の侵攻・征圧が、武力衝突や一発の銃声もなく、「平和裡」に行われたとでも言いたいのか?薩摩藩の軍勢が圧倒的に強力だったというだけではないのか?琉球の軍隊がなんの抵抗もしなかったはずはない。ちなみに、「薩摩藩琉球侵攻」事件(「琉日戦争」)の研究者で、早稲田大学教授の「紙屋敦之」は、私の鹿児島県立「甲南高校」時代の同級生である。また「薩摩琉球関係史」を専攻する歴史学者(鹿児島大学名誉教授、鹿児島県立図書館長)の原口泉も同級生である。昨年、「文藝春秋」の「同級生交歓」に一緒に登場した。偶然であるが、高校時代の友人たちが、ともに「薩摩琉球関係史」に取り組んでいるわけだ。むろん、だからといって、どうということもないが・・・。ところで、井川による「戦争」の定義とは何か。ベトナム戦争のような戦争のみを戦争と呼ぶのか?『琉日戦争』という本まであることを、井川は、知っているのか。耳学問の浅知恵が御自慢らしい雑学的教養主義者・井川一久は、そんなことも知らないのだろう。他人の言動に難癖をつけたいなら、もっと勉強してからにしろ! 「耄碌老人」(?)の売名行為に協力したいとは思わないので、井川の文章の引用はしない。
(続く)




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琉日戦争









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