文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「《オリジナル》共同幻想論」と「ネット右翼亡国論」。

dokuhebiniki2015-09-04


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五輪エンブレム騒動は終わりそうもない。今度は、団扇のデザインが似ているとか似ていないとかいう話題が、ネットやテレビで盛り上がっている。ネットやテレビの「正義」の程度の低さを象徴している話だ。「似ているからパクリだ盗作だ」というわけである。笑止である。文学や芸術には「虚実皮膜」という言葉もある。最近は「二次創作」という言葉さえある。要するに、「オリジナル」と「コピー」はそんなに単純なものではない。そもそも「オリジナル」なるもの、つまり「ゼロからの創造」なるものが、この世に存在するのか?この世は、むしろ「コピー」(ニセモノ)で成り立っているのではないか?マルクスの『資本論』は、現代の価値観で言うならば、古典経済学のパクリと言われただろう、と柄谷行人は、皮肉を込めて言っている。プラトンアリストテレスの時代には「ミメーシス」という言葉があった。オリジナルとしてのイデアは「あの世」にあり、この世のものは、すべてミメーシスである、というわけだ。ミメーシスとは、現代風に言うと、コピーということである。さて、「オリジナルでなければならない」「コピーはすべて犯罪である」というネット住民の幼稚=稚拙な「正義」と「常識」を、私は、「《オリジナル》共同幻想論」と呼ぶ。言い換えれば、ネット住民の「正義」によれば、プロフェッショナルは存在出来ない。プロの作品は、「パクリ」だ、「盗作だ」ということになるからだ。従って、ネット時代の現代を、「ドシロートの時代」(「アマチュアの時代」)ということが出来る。ドシロートやアマチュアは「作品」を創造しない。創造できない。つまり野次馬である。政治の世界も文学や芸術、学問の世界も、アマチュアの時代になりつつある。私が、「ネット右翼化現象」と呼ぶ現象である。「ネット右翼亡国論」というのも、そのことだ。
(続く)



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