文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

佐藤優と田辺元(6)ー人を殺す思想、あるいは思想の「受肉」について。佐藤優の「廣松渉論」(『共産主義を読みとくーいまこそ廣松渉を読み直す「エンゲルス論」ノート』を、いま、読んでいるが、そこで佐藤優は、思想の「受肉」という問題を提起している。「思想の受肉」とは何か?

dokuhebiniki2015-08-08



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佐藤優は、廣松渉の魅力について書いている。

なぜ、広松を二一世紀初頭のいま、日本というこの場で、正面から取りあげることが重要なのであろうか。筆者の考えでは、広松が思想のもつ意味を心底理解していた哲学者だからである。
田辺は、〈具体的にいへば歴史に於て個人が国家を通して人類的な立場に永遠なるものを建設すべく身を捧げる事が生死を越える事である。自ら進んで自由に死ぬ事によつて死を超克する事の外に、死を越える道は考へられない。〉(田辺元『歴史的現実』)と強調した。学徒出陣や特攻隊員は『歴史的現実』を読んで、自らの死によって悠久の大義に生きることを納得したという。一九四五年三月、田辺は京都帝大を退官し、七月に群馬県北軽井沢に転居ホンモノする。
その後、この地をほぼ動かずに、半ば隠遁したような生活を行っていた。この生活には、戦時協力に対する自己批判としての意味があったのだろう。》(佐藤優『知性とは何か』)
廣松渉にとって、哲学とは「知を愛好する」ことにとどまらず、生き死にの原理となる思想であった。この点が廣松渉の限りない魅力なのだ。
(佐藤優)

佐藤優は、「人を殺す思想はホンモノである」と、何処かで書いている。今、それが何処に書いてあったを思いさせないが、私は、佐藤優の思想と生活を考える時、キーワードになる言葉だろうと考える。まさしく、田辺元の哲学は、「人を殺す思想」であったからだ。佐藤優が、田辺元に興味を持った理由が分かる。同じことが廣松渉の場合にも言えるように見える。廣松渉は、哲学を、「知を愛好する」ようなレベルでは考えていない。廣松渉が目指したのは「革命」である。つまり、「革命を目指す実践活動としての哲学」である。廣松渉の前には、リンチ殺人や内ゲバ殺人を目にして革命運動から逃げ出す多くの青年たちがいた。廣松渉は、リンチ殺人や内ゲバ殺人を前にしても、逃げるわけにはいかなかった。廣松渉の目的は、あくまでも「革命」であった。佐藤優は、そこに注目する。廣松渉マルクス主義研究は「疎外論から物象化論へ」として体系化されている。しかし、佐藤優は、その廣松渉の「物象化論」には、思想的には反対の立場に立つと言う。それにもかかわらず、廣松渉とその哲学にこだわるのは、廣松渉の哲学が、革命実践の哲学であるからだ、と言っているように見える。言い換えれば、廣松渉の革命哲学も、「人を殺す思想」である。そこで、危険なものを感じ取り、そこから逃げるか、それとも逆に接近していくか。佐藤優は、廣松渉の哲学に接近していくのだ。逃げたのが、廣松渉の弟子で東大教授の熊野純彦だった。だから、佐藤優の「廣松渉論」は、廣松渉熊野純彦の「別れ」の挿話から始まっている。

熊野が披露する<その日、廣松は、私のすがたをさがしていたという。「クマノはきっと来てくれる」と周囲に語っていたよしである>という部分からは、廣松の哀しみが滲み出ている。
(佐藤優廣松渉論』


(続く)

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