文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「櫻井よしこ研究」とは何か? 果たして、「立憲主義」もよく分かっていない櫻井よしこに、「憲法改正論」を展開し、リードしていくだけの思想的能力があるのか?ただ、自主憲法制定へ向けての「憲法改正論」を、劣化させるだけではないのか?憲法改正問題を、「中韓バッシング」や「ヘイトスピーチ」的な憲法改正論しかできない櫻井よしこに任せておいていいのか?ネット右翼レベルの憲法改論議しかできない「人寄せパンダ」に任せておいていいのか?ますます、真の憲法改正が、遠のくだけではないのか?

dokuhebiniki2015-05-09




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櫻井よしこ憲法改正論は、ほぼパクリである。憲法改正論のパッチワーク。自分の頭で考えた憲法改正論ではない。最近の保守論壇における「憲法改正論議」の思想的堕落は、櫻井よしこが象徴しているのではないか?


江藤淳が「ごっこの世界が終ったとき」(『一九四六年憲法ーその拘束』所収)で言った「ごっこ」そのものだ。つまり、「憲法改正ごっこ」(笑)。


江藤淳の『一九四六年憲法ーその拘束』が、文藝春秋の文庫(文春学芸ライブラリー)で復刊された現在、憲法改正論を、あらためて原点に立ち戻って、そこから、再構築していくべきだろう 。『一九四六年憲法ーその拘束』を読むと、憲法制定過程の研究と分析を、日本側の資料や文献よりも、むしろアメリカ側の資料や文献を駆使して、江藤淳は、行っていることが分かる。


たとえば、マッカーサーの「回想」や「回想録」の類いが、周辺資料や資料分析の結果、歴史的文献として、あまり信用できないというところから、憲法制定過程の研究を始めている。


もっと具体的に言うと、たとえば、憲法九条の「戦争放棄条項」を考え出したのは、マッカーサーの証言や回想録などによると、「幣原喜重郎首相」だったということになっている。幣原自身も、回想録などでそう言いている。しかし、周辺情報や資料分析の結果、これが、まっかな嘘であり、捏造であると、江藤淳は言う。まず、マッカーサーの回想から。

゛非戦゛条項が私(注記ーマッカーサー)の厳命によって日本政府に押しつけられたものだと非難する人々が少くない。しかし、これは次の事実が示す通り実際とは相違するのである。松本博士が新草案を完成するよりよほど以前に、私は幣原首相と会見する機会があった。首相は重病から回復したばかりで、日本での新薬ペニシリンを私が役立てたことについて感謝の意を表しに来たのであった。首相は一月二十四日正午に私のオフィスにやって来て、ペニトシリンのお礼をいった。そのあとで首相はなにかモジモジしていた。私はどうしたのですかと訊ね、あなたは総理大臣なのだから不平や注文があれば率直にいって下さいとうながした。首相はあなたの職業が軍人だからいいにくいのだと答えた。私は軍人というものは世間で考えられているほどの朴念仁でも頑固者でもないーー大体人間らしい心を持っているものですと受けあった。
 すると首相は、新憲法が最終段階になったとき、いわゆる゛非戦条項゛を付け加えることにしたいと提案した。彼はまた日本は今後一切の軍隊を持たないことにしたい、ともいったーー一切の軍隊を廃止する、というのである。(以下略)》(マッカーサー『回想』)


このマッカーサーの回想によれば、「非戦条項」を最初に提案したのは「幣原喜重郎首相」だったということになる。つまり、゛戦争放棄条項゛は、日本政府の首相が言い出したもので、マッカーサーGHQが押し付けたものではない、と。


これに対して、江藤淳は、マッカーサーの回想が嘘か捏造だった可能性が高いと、次のように書いている。

「しかしながら、マッカーサー自身によるこの記述は、マクネリー、ワード両教授によってきわめて信憑性の乏しいものとして斥けられている。その最大の理由は、マッカーサーによれば幣原が進んで提案したはずの゛戦争放棄条項゛が、再三の閣議を経て二月八日に総司令部に提出された「憲法改正要綱」に全く含まれていない、という事実に求められている。
(江藤淳『一九四六年憲法ーその拘束』)


日本国憲法」が出来上がるまでの過程で、いくつかの憲法草案が作られたが、最終的には、GHQが提案した「マッカーサー三原則」に基づく「平和憲法」で決着する。つまり、゛戦争放棄条項゛を導入した憲法草案に、幣原首相が介入した気配はない。幣原首相が影響力を持つはずの日本政府が発表した憲法草案にも、゛戦争放棄条項゛はない。


本当に゛戦争放棄条項゛が幣原首相の発案ならば、早い段階で、憲法草案の中にはいっているはずだからだ。゛戦争放棄条項゛を書き加えたのは、マッカーサーGHQ関係者しか考えられない。そこで、江藤淳は言っている。

つまりこの文脈にてらして考えるなら、゛戦争放棄条項゛の幣原提案説は、真実を隠蔽し、日本国民の新憲法に対する敵意と反感を中和するためにつくり出された神話だということになる。のみならずそれは、「占領軍が撤退し、日本人の思い通りになる状況が生れ」ても、なおかつ憲法が、「捨て去」られず、゛戦争放棄条項゛が米国にとって有効に作用しつづけるようにしておくための、巧妙なわなだということにもなるのである。


江藤淳の分析は、マッカーサーという人間の深層心理にまで分け入っていったあげくの分析である。マッカーサーは、何故、嘘までついて、日本側から゛戦争放棄条項゛を提案してきたというのか?真意はどこにあるのか?マッカーサーの回想録を、無邪気に「鵜呑みにする」ような凡庸な知性には、これは、見えてこない闇だろう。


前にも言ったが、櫻井よしこは、マッカーサーの「回想録」の嘘と捏造を疑っていない。たとえばマッカーサーが回想する天皇との最初の会見の時の様子。「私が全責任を取ります」と、マッカーサーに向かって昭和天皇が言った、そしてそれにマッカーサーがいたく感激し、昭和天皇を、尊敬、畏怖するようになった、ということになっている。が、これもマッカーサーが嘘と捏造で塗りかためた美談の可能性が高いことが分かっている。


櫻井よしこは、『異形の大国 中国』において見たように、そのマッカーサーが捏造した「天皇発言」という美談を、そのまま、「鵜呑み」にしている。このことからも、櫻井よしこが、「日本国憲法」の成立過程に関する資料や文献を、深く読みこんでいないことが分かる。


つまり、櫻井よしこ憲法論は、ネット右翼レベルのものでしかなく、したがって、櫻井よしこ自身がネット右翼レベルの知性の持ち主でしかないということができる。





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