文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

昭和天皇と平和憲法。櫻井よしこ等は、単純素朴な「押し付け憲法論」を、ドサ回りの演歌歌手のように、いく先々で叫んでいるようだが、そもそも、平和憲法の成立過程には昭和天皇や日本の政治家、憲法学者たちも深く関わっている。中には、喜び勇んで、GHQに協力した日本人も少なくない。むろん、昭和天皇もまた、この平和憲法の成立に深く関わっている。

dokuhebiniki2015-05-08


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ

何回も繰り返すように、「昭和天皇マッカーサー会見」によって、戦後体制は確定したと言ってもいい。憲法問題も例外ではない。昭和天皇は、いつ、訴追されて、処刑されるかも分からないような「人質状態下」であったにせよ、積極的に「平和憲法」を選択している。今上天皇(平成天皇)が、「護憲発言」を繰り返すのも、昭和天皇の遺志を、それなりの形で受け継ごうとする姿勢を示したものだろう。



改憲三馬鹿トリオの筆頭格・櫻井よしこは、平和憲法(日本国憲法)の成立過程の詳細を知っているのか?「マッカーサー回想記」や「幣原証言」や「重光葵手記」などを鵜呑みにするような思想的レベルで、平和憲法の成立過程など語れるわけがない。今からでも遅くないから、江藤淳の『一九四六年憲法ーその拘束』(文春学芸ライブラリー)でも読め、と言いたいが、無理だろう。


櫻井よしこは、西部邁とともに、当時、保守論壇の代表的な論客だった江藤淳の存在が気に食わないものだったらしい。「文学界」という文藝春秋の文藝雑誌が、江藤淳の死に際して、追悼特集号を出した時、西部邁とともに「江藤淳批判」と思われる辛辣な追悼文を書いていた。


そこで、櫻井よしこは、江藤淳山本七平と比較して、山本さん平は「人間論」から言論を始めるが、江藤淳は、「怒り」から始める。山本七平が上だ、というような頓珍漢な追悼文を書いていた。山本七平なんて読んだこともないが、江藤淳山本七平を対等な地平線で比較するなんて、「へ〜、こんな馬鹿もいるんだ」と思ったものだ。


江藤淳には「人間論」がないから? ああ、そう言えば、西部邁も同じようなことを書いていたな、江藤淳の「怒り」がどうの、こうの・・・と。私は、この人たちは、江藤淳が論壇雑誌や新聞などに書いている時局的な政治評論しか読んでいないな、それも飛ばし読みしかしてないな、夏目漱石論や小林秀雄論などの代表作は、もちろん読んでいないな、と思ったものだ。


三島由紀夫が去り、江藤淳が去り、そしてその頃から、保守論壇は、櫻井よしこ等のような三流文化人や漫画家や芸能人など、素人まがいが、我が物顔で跋扈する言論空間に堕落し始めたのである。その典型が「櫻井よしこ」だと言っていいだろう。

(続く)


人気ブログランキングへにほんブログ村 政治ブロへ