文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

何故、新聞離れ、テレビ離れが起きているのか?ニュース報道にしろ犯罪報道にしろ、あるいは政局報道にしろ、元来、報道機関が果たすべき事実追究、真実追究という「ジャーナリズム」の機能を果たしていないからだろう。管理され操作された警察情報や政府関係者情報の垂れ流し。それでは読者が離れていくのは当然だろう。

dokuhebiniki2015-03-07


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その報道不在の空隙と飢餓感を、読者は、おそらく、ネット報道や「2チャンネル」の情報で満たしているのだ。たとえば、通勤電車の中でも新聞や雑誌を、漫画雑誌でさえ、読んでいる人は皆無だ。ほとんどの人スマホ」を覗き込んでいる。


ひところ、本や雑誌が売れなくなったことの理由として、「活字離れ」が言われたものだった。しかし、ネット論壇やネット掲示板の読者や書き込みなどを見るまでもなく、「活字離れ」など、起きていないことは明らかだ。むしろ、一般大衆という読者は、活字に飢えているのだ。では、何が起きているのか?


読者という国民の「民族大移動」が起きているのだ。マスコミからネットへ。マスコミからネットへの民族大移動は、それほど単純な問題ではない。マスコミ的言説の終焉とネット的言説の創出という問題が、ここにある。マスコミ的言説とネット的言説の差異は何処にあるか?


たとえば、毎日新聞的=日弁連的なネット論壇への警告と恫喝は何を意味しているか?「人権侵害」や「名誉毀損」という法的概念を振りかざしての警告と恫喝は、文字通り、思考停止、職場放棄、現実逃避を意味している。現実=現場との知的格闘の放棄である。


これは、「イスラム国」取材合戦で暴露されたように、大手マスコミの記者たちは、戦場や戦争を取材するのに、安全地帯から、望遠鏡で眺めている、そして戦場の写真や記事は、フリージャーナリストや戦場カメラマンから借用する、というようなものだろう。なーんだ、新聞記者たちは、命懸けで現場を追跡する「突撃取材」などやっていないのか、というわけである。


これでは新聞や離れ、テレビ離れが起きても不思議ではない。むしろ起きるのが当然だろう。そこで、毎日新聞の「石戸諭」という記者が書いたネット的言説への警告と恫喝を、もう一度、読み返してみよう。

(続く)

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