イデオロギーとしての「少年法原理主義」という病。私は、中1殺害事件にも、舟橋龍一という殺人青年の今後にも興味はない。私が興味を持っているのは、少年犯罪をめぐる日本人の「物の考え方」、つまり現代日本人の「思考停止」という「思考態度」そのものである。「現実を見よ」ということである。観念論的思考からの唯物論的転倒=存在論的思考=階級闘争のススメである。
イデオロギーとしての「少年法原理主義」というロマンチシズムの病が、日本社会を覆っている。一昨日、「川崎事件」の主犯=舟橋龍一(18)が実況検分ということで、殺人現場に登場したらしい。その様子をテレビで見て、笑ってしまった。ブルーシートと箱。主犯=舟橋龍一の姿は見えない。箱の中に閉じ込められ、その周りをブルーシートで囲っている。ご苦労なことである。
警察は、「少年法」で、舟橋龍一の「人権」とやらを守っているつもりらしい。喜劇である。
実質的には、法律上はともかく、舟橋龍一の「人権」など守られていはしない 。見物に押し掛けた人たちの中から、「人殺し」「殺人鬼」などという激しいヤジが浴びせられたという。ブルーシートに囲まれ、箱の中に閉じ込められた舟橋龍一の耳にも聞こえたはずだ。少年法は、有名無実化しているのだ。
名前や顔写真が公表され、家族や住所、父親の職業や母親の素性、兄弟姉妹関係まで暴露されている。では、ブルーシートと箱は何を暗示しているのか?見せ掛けだけの人権保護であり、少年法に名を借りた思考停止、現実逃避である。世間も社会もリアルで残酷である。少年法が有ろうと無かろうと 、殺人犯やその家族に、人権などないのである。
現実は厳しく苛酷である。その現実を覆い隠すのが、イデオロギーとしての「少年法原理主義」というロマンチシズムである。「少年法」は、少年という名の人間たちに、自分だけは、刑事罰からも社会的制裁からも、逃れられるかのような、大きな思考倒錯、観念論的錯覚を起こさせるのだ。これこそ悲劇である。
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