文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

尾崎秀英さんを偲ぶ会が、一昨日(2/25)、学士会館で行われました。そこで、尾崎秀英さんの遺稿集『泰西音楽逍遥』(「KKプレス」(03ー5211ー0096)」)をいただいた。40歳そこそこで逝った尾崎さんの最初で最後の著作集だ。尾崎秀英さんと最も親しかった佐藤優さんは、「この作品は人間存在の根底に迫るものだ」と帯の推薦文で書いている。尾崎さんが、命を削りながら、言い換えれば死と向き合いながら書き続けた、文字通り存在論的な連載評論だったわけだが、私は、迂闊にも、連載時にはほとんど読んでいない。私は、いつも元

dokuhebiniki2015-02-27



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一昨日(2/25)、「月刊日本」副編集長だった「尾崎秀英さんを偲ぶ会」が、学士会館でありました。尾崎秀英さんらしい重厚な偲ぶ会でした。尾崎さんが学生時代から活躍していた「東大オーケストラ」の同窓生たちの演奏には、音楽音痴の私も感動しました。


鈴木宗男氏や佐藤優氏、長谷川三千子氏、学生時代の友人たちによる追討の挨拶があり、尾崎氏の活動の広さを知りました。また遺稿集として、「月刊日本」に連載していた「泰西音楽逍遥」が、小さな小冊子にまとめられ、参加者に手渡されていました。


私が知っていた尾崎さんは「編集者=尾崎秀英」でしたが、当然のこととはいえ、私などの知らない、「もう一人の尾崎秀英」がいました。私などには見せなかった尾崎さんの多種多様な人生模様を教えられ、感動しました。


記念写真のコーナーがあり、御両親やお兄さん、それに親友たちに囲まれて、人生を満喫している姿がそこにありました。尾崎さんも言いたかったのでしょう、「私は、こうやって生きて来たのです」(漱石『こころ』)と。


特に東大オーケストラの友人たちによる演奏には、感動しました。尾崎秀英の思考の原点に「音楽」があったということが、よく分かりました。尾崎さんは、ウラジミール・ストロガノフという筆名で、作曲もしていたということです。いっしゅん、学士会館の会場に、尾崎さんが作曲したというメロディーが流れました。私は、「ああ、これが尾崎秀英か」と納得しました。心に響くものがありました。


私は、前から、尾崎さんに、編集だけではなく、自分の名前で「書くこと」を勧めていました。是非書くべきだ、と。もちろん、私の勧めなど関係ないでしょうが、何か思うことがあったのでしょう。いよいよ連載が始まりました。実は、私は、その連載が音楽評論だったのでちょっと失望しました。自分の不明を恥じ入るばかりです。


尾崎さんは、やがて来る人生の終わりを予知していたかのように、自分の存在に深く関わる問題を、書き遺したのです。それが政治でも思想(哲学)でもなく、音楽だったのです。尾崎さんと私の共通点は哲学、とりわけハイデガー存在論でした。尾崎さんの場合、ハイデガー存在論の背後に音楽があったのでしょう。「政治思想の終わるところで音楽は始まるのだ」ということでしょう。


音楽音痴の私ですが、尾崎秀英の『泰西音楽逍遥』を座右の書として、読み続けたいと思います。尾崎秀英は、私の中では生きています。


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