文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

尾崎秀英さんのこと。

dokuhebiniki2015-01-15



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病気療養中だった「月刊日本」副編集長の尾崎秀英氏が、今年の正月早々に亡くなりました。私から見たらまだ子供のような年齢でした。言葉もありません。


尾崎秀英君は、東大文学部哲学科倫理学専攻卒の秀才でした。『武士道の逆襲』でお馴染みの菅野覚明先生の弟子でした。私も菅野先生とは知り合いです。実は、私も、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻卒でしたので、どこかで気が合ったのかもしれません。


尾崎秀英氏は、佐藤優氏や私とコンビを組み、「月刊日本」を舞台に、大きな仕事を残しています。私は、尾崎秀英氏の仲介で、佐藤優氏と対談することになり、それが大きな転機になりました。尾崎氏に誘われて、各種の討論会やシンポジウム、座談会、インタビューなどに参加。森ゆうこ元議員らを、対談のために議員会館に訪ねたり・・・。


尾崎秀英無くして現在の私はありません。


尾崎氏は、若い編集者たちを集めて、ハイデガー存在と時間』の勉強会(「尾崎塾」)も続けていました。東大オーケストラ(?)の出身ということで、音楽にも造詣が深く、音楽評論を「月刊日本」に連載(「泰西音楽逍遥」)していました。それが遺作になりました。「ハチャトリアンーヴァイオリン協奏曲」の回に、「政治は一瞬だが、芸術は永遠だ」とあります。


もっと多くの、大きな仕事が出来たのにと思うと、残念でなりません。志半ばで逝くことを思うと、絶望的な気分になります。


この写真は、「月刊日本」のインタビューの際、尾崎秀英氏が行きつけの大塚の居酒屋で、尾崎氏のカメラで撮ってもらった写真です。この写真を、『保守論壇亡国論』の表紙にも使いました。これから、若くして逝った尾崎秀英君との思い出のために、私は、このプロフィール写真で、通すつもりです。


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