文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

ネット・ジャーナリズムの終焉とパンセ・ソヴァージュの可能性。あるいは有名ブロガーとネット・ジャーナリストの堕落と思想的劣化。

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最近、有名なブロガーやネット・ジャーナリストに関連して、逮捕事件や刑事告訴事件、Twitter凍結事件などが頻発している。昨日も、ある女医を脅迫したということで若い女性が逮捕されたというニュースが流れてきた。先日も、「ブログの女王」とか呼ばれていた眞鍋かおりという女性タレントを、ネット上で脅迫したということで、青森県在住の中年の男が逮捕されている。


二、三日前は、小学4年生と偽って、ネットで、解散総選挙を批判するブログを立ち上げたということで、慶應大生が、激しい批判を受け、炎上し、挙句に本人が、謝罪するという事件が起きた。


これら一連の事件を見ていて、僕が感じたことは、ネット・ジャーナリズムやネット論壇も、「言いたいことを言い、書きたことを書く」、そういう時代は、終わりつつあるなー、ということだ。つまり、ネット・ジャーナリズムもネット論壇も、管理された、不自由な世界になりつつあるらしい、ということだ。ネット・ジャーナリズムやネット論壇の比重が高まるにつれて、ネットの世界も、治外法権的言説空間であった時代が終わり、権力者や警察によって監視対象にされつつあるということだろう。そこで、登場するのが安っぽい倫理主義や安っぽい道徳主義!


ネット文化人でもある津田大介という人が、テレビで、ネットの話題を取り上げていたが、不思議だったのは、津田が、ネット言論の「パンセ・ソヴァージュ(野生の思考)を擁護するのかと思っていると、逆に犯罪扱いしながら、つまり批判的視点から解説していることだった。要するに、ネットで有名になり、そのネットでの知名度を武器にマスコミに進出、ネット批判を繰り返す・・・。マスコミに魂を売り渡す元ネット・ジャーナリスト「津田大介の終焉」? またか、と思いながら、僕は見ていた。


僕は、ネット・ジャーナリズムやブログ、あるいはネット言論やネット論壇というものに関しては、全くの素人である。しかし、そうは言っても、僕は、かなり早い時期から、「ウィンドーズ95」の頃からだと思うが、ネット・ジャーナリズムやネット論壇に、深く関わってきた。雑誌や新聞のような古典的ジャーナリズムに、嫌悪感と限界を感じていたからである。言い換えると、ネット・ジャーナリズムやネット論壇の言説に可能性を感じていたからである。


何回も書いたが、僕は学生時代、小林秀雄江藤淳とともに、吉本隆明を、かなり熱心に読んだ。吉本隆明の詩集や評論を読みながら、僕が一番感動していたことは、吉本隆明の生き方、あるいは言論の在り方に関してだった。それは、吉本隆明が、雑誌や新聞など、いわゆる古典的ジャーナリズム、つまりマスコミに依存せずに、「試行」という同人雑誌を根拠にしていることだった。吉本隆明は、それを、「自立」とか「自立の思想」「自立メデイア」とか言っていたように思う。僕は、自立メデイア「試行」を根拠にしながら、「言いたいことを言い、書きたいことを書く」・・・その吉本隆明のスタイルが好きだった。


僕は、吉本隆明の「自立」という方法が、これから、ネットの世界で、可能なのではないかと思ったのである。僕の予想は、つい最近までは、当たっていたと言っていい。ネットは、ナマの情報が、管理=編集されることなく、そのままストレートに発信出来る。言わば、これまで情報の受け手の立場に封じ込められていた一般大衆が、突然、ネット論壇の出現と同時に、情報の発信者として登場してきたということだ。まさにネット革命であり、情報革命の時代がやって来たということだ。


それに怯えているのが、マスコミであり、古典的文化人であり、警察であろう。「本が売れない」「新聞の購読者が減った」「テレビの広告費が激減」・・・。今、古典的メデイアは存亡の危機に直面している。その危機は、間違いなくネット革命がもたらした危機だ。読者の反乱! だから、古典的、一方通行メデイアとしてのテレビや新聞、雑誌・・・は、ネット批判を繰り返し、警察はネット論壇の取締りに躍起になるのだ。最近のネット・ジャーナリズムやネット言論への様々な言論統制・言論封殺・言論弾圧は、その一端であろう。


たとえば「ネット右翼」という言葉がある。最近、その「ネット右翼批判」は激しい。ぼくも批判してきた。しかし、僕は、最近の「ネット右翼」への市民主義的、つまり左翼的批判には、反対である。「ネット右翼」の台頭には、必然性がある。これまで抑圧されて来た者たちの発言=情報発信としての必然性である。

(続く)



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