文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

理研が「STAP特許」の手続き進めているらしい。STAP細胞の存在は「否定できない」と考えた上での判断らしい。これは、何を意味するのか?


世間では、「STAP細胞はない」「STAP細胞は捏造だった」と、STAP細胞問題はもう忘れたようだが・・・。ホンモノの科学者なら忘れることはない。誰かが発見するかも・・・。先端科学の世界も、政界と同様に「一寸先は闇」なのだ。


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毎日新聞の記事(10月25日)によると、理研は、STAP細胞の「特許権」を放棄したわけではなく、未だに、特許申請を継続しているらしい。これは、何を意味するか?これは、理研研究員の遠藤高帆等が「2チャンネル」などで暴露した「STAP細胞捏造論」にもかかわらず、理研中枢部は、今でも「STAP細胞の可能性」を否定していないということを意味している。


むろん、「STAP細胞の可能性を否定していない」ということは、「STAP細胞は存在している」ということとは違う。


STAP細胞は存在しない」「STAP細胞は、小保方博士の捏造だった」という話が、エセ科学者たち(遠藤高帆等)の世界や、一般大衆の世界では定着しているらしい。それは仕方がない。だから、エセ科学者だとか一派庶民=一般大衆と呼ぶのである。


逆に、その「俗説」を、理研の研究者たちは、全面的に確信していないということだろう。未だに「STAP細胞の可能性」は否定できない、と。この曖昧な態度は、ホンモノの科学者の態度というものだろう。ホンモノの科学者であれば、誰も、「STAP細胞は存在しない」「STAP細胞は小保方博士の捏造だった」と断言できない。そう断言できるのは、無責任なエセ科学者と一般庶民だけである。


エセ科学者たち、つまり、科学というものの普遍妥当性を、盲目的に信じ込んでいる科学主義者たちは、これを、「反科学的」「エセ科学」というかもしれない。だが、これは、本当に「反科学的」「エセ科学」ということになるだろうか?むしろ、「科学」とは、そういう微妙な、怪しい、曖昧な世界に属するのではないだろうか。科学が絶えず進化するのは、既成科学が絶対ではないということだ。つまり、ホンモノの科学というものは、不変、固定的、絶対的なものではなく、いつでも解体=再生する「怪しい科学」だからだろう。


昔、こういう話を聞いたことがある。天文学の話。新星の発見が話題になっている頃の話だ。ある少年が有名な天文学者に、「自分も新星発見の仕事をやってみたい。」と。すると天文学者は答えた、「見つけられるかもしれないと思ったら止めなさい、見つけられなくてもいいと思ったらやりなさい」。


STAP細胞は存在しない」「STAP細胞は、小保方博士の捏造だった」・・・ということで「思考停止」するのが大衆である。逆に、それでも、「STAP細胞の可能性」を信じ、探求を続けるのが「科学者」だろう。つまり、「科学」と科学的ではないのだ。


科学主義者たち(エセ科学者)の考える「科学」は、厳密に考えると「科学」ではない。理研の「STAP細胞特許申請」がそれを示している。

STAP特許:理研、手続き進める…「存在否定できぬ」
毎日新聞 2014年10月25日 02時31分

 理化学研究所などが国際出願していたSTAP細胞に関する特許について、理研が出願を取り下げず、特許取得に必要な「国内移行」という手続きを複数の国でしたことが24日、分かった。STAP細胞作製を報告した論文2本は既に撤回され、研究が白紙に戻ったにもかかわらず特許取得手続きを継続する理由について、理研は「(STAP細胞の真偽を確かめる)検証実験は継続中で、完全に否定されたとはとらえていない」と説明した。


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