文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

解散総選挙待望論ー政治家にとって選挙は職業である。選挙を恐れる政治家には政治家の資格がない。政治家は、一般庶民が考えるほど気楽な商売ではない。政治家は、「選挙に落ちればタダの人」ではない。選挙に落ちれば地獄である。最近の日本の政治から緊張感がなくなったのは、政治家が選挙を恐れ、任期いっぱいまで、意地汚く政治家であろうとし続けるからだ。苛酷な選挙を勝ち抜いてきた人だけが政治家をやればいい。


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安倍内閣が、ここにきて、「解散総選挙」を口にするようになってきたが、もしここで、本当に解散総選挙を断行するならば、結果がどうであれ、安倍政権は、さらに強化されることになるだろう。小生は、安倍政権の未来などにはまったく興味ないが、選挙そのものには興味がある。誰が当選しようと落選しようと、何党が勝とうと負けようと、解散総選挙は、すぐに、何回でもやるべきだろう。


当選回数で、大臣が決まった時代があった。そういう時代がよかったと言うつもりはないが、一理はあったと思う。当選回数を重ねることによって政治家は、政治家になるからだ。当選回数が一、二回の政治家は、どんなに経歴や学歴が立派でも、政治家としては小学生である。小学生を、政府の要職につけることは、亡国の道である。


ところで、この「解散風」をあおっているのはマスコミ。マスコミ関係者が、首相の意を受けているらしく、「解散風」をあおり始めたが、マスコミが「権力の走狗」を演じているようで、なんとなく醜悪である。「マスコミこそ自立せよ」と思う。


今、テレビや新聞などに登場する政治ジャーナリストとか政治評論家、政治記者って、ほとんどが「紐付き」である。官邸から流される情報の宣伝係、官邸の「パシリ」に成り下がっている。彼等の情報が、たとえどれだけ正確だとしても、僕は信用しない。


政治家とは、きわめて危険な職業であり、僕の言葉で言うと、「存在論的存在」である。「常在戦場」という言葉があるが、政治家は、まさに常在戦場だと思う。二代目、三代目の政治家が、軽く見られるのは、本当の意味で、選挙の洗礼を受けていないからだ。安倍首相や小淵優子議員が、いかに立派な発言や行動をしようとも 、「ひよわな」「未熟な」「稚拙な」政治家に見えるのは、そこに原因がある。
(続く)

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