文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「小保方事件」を取り上げた「不正はなぜふせげなかつたのか?」という鼎談が、「中央公論」に出ているのを読んだ。予想通り、「これが日本の科学ジャーナリズムのレベルか」と、失望落胆せざるを得ない陳腐な内容だった。

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「初めに不正ありき」という「結論」から始まる常識的な勧善懲悪の鼎談。登場者は、佐倉統(東大大学院情報学環教授)、⚫▲◼★➡、八代嘉美京都大学ips細胞研究所特定准教授)の三人。いずれも、専門家気取りだが、居酒屋の野次馬評論家以下のつまらない低俗な思想しか持ち合わせていない凡人たちだ。


しかも三人揃って東大か京大の博士だというのだから、お笑いである。東大京大の博士なら、研究不正などやりません、しかし危険な研究そのものも、一切やりません、ということだろう。「研究不正の一つや二つをやってでも、超一流の大発見でもやってやるぞ」というような気概も野心も何もない。毒にも薬にもならない俗物たち。


京都大学ips細胞研究所特定准教授の八代嘉美が、東浩紀の言葉を引用して、こう言っている。「欲に目が眩んだのではなく、夢に目が眩んだのだろう」と。無論、小保方博士を、揶揄=愚弄しているのである。「お前らは、夢に目が眩んだことはないのか!」と思わず叫びたくなった。僕は、この言葉を聞いて、あらためて、東浩紀という「思想家」が俗物であると思わないわけにはいかなかった。


八代嘉美にも東浩紀にも、科学や思想、あるいは芸術や文学への「畏れ」というものが、まったく存在しないということを知り、彼らが、所詮、二流、三流の学校秀才でしかないな、と感じた。東浩紀は、小保方問題は「女の涙」に騙されるか騙されないかの問題だと言った。社会学的知性の限界だね。


柄谷行人は、三木清小林秀雄を比較して、思想家や文学者は、「パラドクス」に直面し、それを理解し、「パラドクスを生きる」ことが出来なければ、「動的文体」は生まれない、と言っているが、東浩紀が、単なる思想の解説屋にすぎず、文体のない凡庸な思想家であることが、よく分かった。東浩紀も、「三木清」のように何でも知っているが、肝心な問題が分からない。小林秀雄ではないということだ。


(続く)
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■面白いコメントがありましたので、以下に、いくつかを紹介します。

pat11 2014/05/27 03:29
若山教授が 裏でコソコソ なすりつけようとしている と小保方側が21ページの抗議文で
提訴予告 弁護サムライと文学サムライが手を組んだら凄い戦いとなる。

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濱本 博 2014/05/27 08:06
山崎先生

肝心なことがわからないということは、
思想の内に在る「二重性」や「闇」を視ることができないことなのだと改めて思いました。

先生がご指摘された「科学主義」的なる思考は、所謂、終末論的な単線思考によく似ていると思いました。
この手の思考様式で は、大概に於て、結果を予め想定するが故に、終末遅延の「不安」に耐えることが出来ず排他的に為らざる終えない。また、それが基でイデオロギー化してしまう。

それとは反対に終末が想定されない「救済」を延々と求めさ迷い続ける思考と思想には、己れの存在を懸けた強さが在り安易にイデオロギー化されない特徴が在るように思えました。

昨今は、終わりの無い思想が殆ど無いようで大変残念に思う次第です。

駄文を失礼致しました。


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久米 2014/05/27 21:47
山崎先生、5月26日の記事に触発され、次のような小文を書きました。

「毒蛇山荘日記」は、批評である。2014年5月26日の記事を読むと、そのことがよくわかる。この記事は、並みの「小保方擁護論」などではない。根本的=原理的な「小保方擁護論」だ。抜粋してみる。
京都大学ips細胞研究所特定准教授の八代嘉美が、東浩紀の言葉を引用して、こう言っている。「欲に目が眩んだのではなく、夢に目が眩んだのだろう」と。無論、小保方博士を、揶揄=愚弄しているのである。「お前らは、夢に目が眩んだことはないのか!」と思わず叫びたくなった。僕は、この言葉を聞いて、あらためて、東浩紀という「思想家」が俗物であると思わないわけにはいかなかった。
もちろんこれは、東浩紀や八代某を批判したものだ。私たちはこれを読んで、「そうだよな、小保方さんは科学者なんだから、夢に目が眩んで当然だよな」と思う。私もそう思う。

しかし、山崎氏の批判は、根本的なのだ、原理的、あるいは革命的といってもいい。「お前らは、夢に目が眩んだことはないのか!」という言葉の「お前ら」とは、東某や八代某のことだ。これが正解だ。しかし、山崎氏の批評は、これでは済まない。

一般論から言えば、「欲に目が眩んだ」者は、騙されたり失敗して、「無一文」になる。「夢に目が眩んだ」者は、現実に叩きのめされて「破滅する」。東や八代は、そうした常識を踏まえて発言している。そして、そのようにして無一文になり、破滅した人間を、揶揄=愚弄するのだ。なぜ彼らは、東や八代は、小保方博士を、揶揄=愚弄する必要があるのか。江藤淳氏の著書『一族再会』(講談社文芸文庫)から引用する。
≪そのとき自分がその他大勢であることを、栄光も破滅もともにあたえられていない「幸福な」人間であることを、いやでも意識させられるからだ。≫(P50)

東や八代には、栄光も破滅もともにあたえられていない。

山崎氏はいう。「お前らは、夢に目が眩んだことはないのか!」

さて、もうお分かりかもしれないが、「お前ら」とは、私たち読者のことでもあるのだ。私たちは、「無一文」にはなりたくないし、「破滅」もしたくない。そう願って「幸福」に生きている、「幸福」に生きたいと願う。しかし、山崎氏は問いかける。ほんとうにそれでいいのか、と。

いうまでもなく、山崎氏も「夢に目が眩んだこと」がある人なのだ。だから、「お前らは、夢に目が眩んだことはないのか!」という問いかけの矢は、山崎氏自身にも突き刺さっている。おそらくこの矢は、ずっと遠い以前から、山崎氏に突き刺さったままなのだ。この矢は抜けない。


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