文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

伊豆大島放浪記ー江藤淳先生の評伝『小林秀雄』は僕の愛読書である のみならず、僕の思想的原点に位置する最重要必読文献 の一つであるが、そこに、若き日の小林秀雄の「大島旅行」の話が出てくる。しかも、小林秀雄の大島旅行は、女との駆け落ちや自殺のための旅行であった。僕は、あまり重視していなかったが、江藤淳の『小林秀雄』にとっては、また批評家=小林秀雄の誕生にとっては、かなり重要な場面であった。「死」や「自殺」、「純粋」と「不純」=「生活」の理論が深く関わっているからだ。小林秀雄の「批評」は、この「死」や「自殺」「


(続く)
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秋山駿の小林秀雄論から・・・。


 長谷川泰子さんと対談したとき、なぜ、中原中也から小林秀雄へと走ったのか、と訊いてみた。明言されなかったが、私には分ることがあった。まず、小林は好男子であった。いまも写真が映す鋭気のあの顔。それに知的には、時代の最尖端を行くハイカラ者であった。同時代の文学青年が、小林秀雄に学んだ。つまり、一世代前の、芥川龍之介みたいなものだった、と思えばよろしい。

 私はスポーツ新聞記者のとき、文士野球を観戦したが、たしか小林は二塁手で、けっこう身ごなしは軽快であった。これじゃ女が惚れるのも無理はない、と思ったものだ。中原中也は、逆立ちしたってそんなことはできない。

 小林秀雄は、乱暴な人だった。泰子に振られたと思って、大島に自殺行に往ったり、その泰子が潔癖症になってしまったので「シベリア収容所」みたいな生活を送ったり、ある日泰子に「出て行け」と言われると、その足で、妹とお母さんだけの母子家庭を放り出して志賀直哉の許へ走ったり、登山をすれば、デワという変なものに出遭ったり…。それに、後年、ギター自慢の深沢七郎相手に、自分も若い頃はよくマンドリンを弾いたものだと自慢する、そんな稚気に満ちていた。



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