文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「植民地支配」と「民族絶滅論」。ー室谷克実の『呆韓論』を読みながら、日本人の「思想的劣化」と「一億総ネット右翼化」を憂う。ー「反韓論ブーム」を『保守論壇亡国論』で読み解く(2)。

室谷克実の『呆韓論』を読んでいくと、日韓関係史にまつわる多くの初歩的な間違いにぶつかる。その一つが、「植民地支配」と「民族絶滅論」である。室谷克実は、「日韓併合」「植民地支配」などに関する韓国側の発言を引用したあと、次のようにコメントしている。


《「日本による植民地支配はわが民族を絶滅の危機に追いやり・・・・・・」とは、どういう実態を指すのだろう。日本統治時代に半島の人口が倍増した事実を習わなかったのは仕方ない。しかし、今も劇画的ファンタジー歴史学の知識だけ絶対で、それに反する事実を記した史資料は目に入らないというのは『病気』だよ。》(106ページ)


この室谷克実の発言は、「植民地支配」と「民族絶滅論」とは無関係だということだろうか。「日本統治時代に半島の人口が倍増した事実」は、その通りかもしれない。しかし、「人口が倍増した」ことから、「民族絶滅の危機」はなかったと言うことは出来ない。


たとえば、日本による植民地支配が、そのまま続いたとしたら、朝鮮半島から、人口は倍増したとしても、「朝鮮民族(韓民族)」が絶滅していた可能性は高いはずだ。もちろん、ここでいう「民族」という概念は、「人口増加」の問題だけでは語れない。


私見によれば、「民族」とは「言語」「文化」「宗教」・・・などを含む概念である。言い換えれば、「民族絶滅の危機」とは、「言語」「文化」「宗教」の存続の問題でもあるのだ。室谷克実は、それが、まったく分かっていない。「哀れな日本人」というしかない。
(続く)


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■濱本博氏の発言(2)。

濱本 博 2014/02/27 21:07


山崎先生
我が国の「自称知識人」は、「現実の闘争」から逃げるばかりで、完全なる日和見主義者に成り下がっているとしか思えません。実に情けない事ですね。

彼らは、被害者根性丸出しで、「現実」や「存在」と向き合う事をせず「怖ろしいもの」からは逃げ続ける屁っぴり腰でどうしよもない輩です。

率直に言って、彼らの主義主張は、敗北主義そのものであると思います。

かつて、江藤淳が、「滅び」について論述した事を思い出しました。
敗北した敗者は、それなりの矜持と云うものがあるのではないかと改めて強く思いました。
我々は、あの「負け戦」を美化し続けて一体どうなるというのだろうかと考える次第です。

いつまでも「負け戦」を正当化ばかりしているようで在れば、国際社会や国際政治の舞台では、完全に無視され嘲笑の的になるのが関の山でしょう。
現実に、昨今の国際社会の論調は、完全に、我が国の異常な事態について多々語れる始末です。
無駄口を叩いている暇があるのなら、少しは外国の新聞でも読み給え!とでも言い添えたい気分です。

我が国の「自称知識人」は、僅かばかりでも善いので、我が祖国の「存在」について熟慮し、思想戦に対しては、毅然と且つ知的に「闘争」して戴きたいものです。


駄文を失礼致しました。


★ 濱本 博 (はまもと ・ひろし)・・・「江古田哲学研究会」会員。横浜国大卒。

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阪神氏の発言。

阪神 2014/02/27 10:48


話題を変えて申し訳ないのですが、「福木の白花(長田 紀春)2003」に曽野綾子が1968年頃に沖縄を取材して書き上げた「生贄の島」に対して目(さがん)軍医大尉を知る方々から抗議の声があがっています。


http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393081064.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393081075.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393081092.jpg.html
http://imgb1.ziyu.net/view/kimuke/1393081107.jpg.html


曽野は「生贄の島」の後、「ある神話の背景」を書いていますが、出鱈目ぶりは引き継がれていますね。
私はこのコピーを曽野宅宛に送り、「生贄の島」を読んで目大尉を誤解している何十万人の人達に向って、誤解を解く努力をするよう要求します。
どうせ、またもや無視されるでしょうがw

■和田氏の発言。

和田 2014/02/27 17:09


山崎さん、お久しぶりです。 今日3時頃、文部科学省に以下の投稿をしました。 


文部科学省が道徳に関する新教材「私たちの道徳」を公表し、その中には曽野綾子の「誠実」に関する記述があると報道された。道徳は正式教科ではないが、文部科学省が作成する教材はその他の科目ではみあたらず、事実上国定教科書に近い存在である。曽野綾子の著作「ある神話の背景」には、明白な嘘が最低二つある。一つは「第34回司法制度改革審議会議事録」に記載された審議会委員、曽野綾子の『本土では赤松隊員に個別に会いました。・・・・グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。』という発言。私が2007/12/2に再発見(再発見の意味はコロンブスアメリカ大陸再発見に同じ)したところによれば、赤松隊長自ら雑誌1971年6月号「青い海」に寄稿した複数の赤松隊と曽野綾子の写真と説明から上記の説明が嘘であることは明白です。山崎行太郎氏の次の記事
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20071226/1198608782の元ネタは私が提供したものです。また「ある神話の背景」には赤松隊の泛水作業について「それに加えて、潮が引き始めた。持ち運びの距離もそれにつれて長くなった。」と書かれている。複数の潮位ソフトから1945/3/26午前6時頃、満潮となったことが明白だが前日の23時頃から始められた泛水途中に潮位が干潮に向かったと天に唾する嘘を語っている。この事実は、気象庁勤務の伊藤秀美氏の単行本「検証 『ある神話の背景』」でも確認している。 政府の審議会で明白な嘘を語ったということは、政府・国会・国民を愚弄したことにならないか。嘘にはたとえば、死にそうな相手を気遣って『大丈夫』と語る思いやりの嘘もあるとのことだが、曽野綾子の嘘は未来の国民に自発的な集団自決を促す狙いがあり、歴史事実と人間の命を卑しめる嘘である。 私は、誠実と嘘とは対極にあるものと考えているが、文部科学省はそうは考えないのでしょうか。私は曽野綾子の人格に問題があり、道徳の教材に曽野の誠実に関連する記述を掲載することは人間をおとしめる行為以外の何者でもないと思います。この事実はマスコミその他に流布するつもりです。」


いくらなんでも曽野綾子のような嘘つきを道徳で誠実の見本とするのはグロテスクの極みでしょう。


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