文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

「朝鮮人慰安婦問題」に最終決着はありえない 。

最終決着があると幻想し、最終決着(「真の解決」)を求めることこそ、典型的なイデオロギー的思考である。イデオロギーとは、「真理は我にあり」と妄想する思考形態である。つまり、「朝鮮人慰安婦問題」には、かなりいい加減な、タテマエ論としての河野談話村山談話のような「政治的解決法」しかない。哀しいことに、ネット右翼や保守政治家、エセ保守文化人・・・には、それがわからない。河野談話村山談話を廃棄して、安倍談話でも出したら、それで一件落着するのか。ますます国際社会に日本包囲網が出来上がり、日本は孤立化はすすむであろう。韓国や中国の思う壺である。ホンネ丸出しのネット右翼と、そのネット右翼に支持される安倍政権は、飛んで火にいる夏の蟲か。

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誤解を怖れずに言えば、少なくとも政治的レベルでは 、適当なところで妥協し、謝罪・補償した方がいい。かつては、「大日本帝国」を名乗った国である。つまり、「帝国の政治」とは、そういうものである。余裕を持って「悪」「犯罪」「過失」・・・を認め、謝罪・補償すること。それが、かつて、侵略や略奪、占領、支配、併合・・・を繰り返してきた「帝国の作法」であろう。たとえば、かつての「植民地支配」を認め、謝罪したところで、その国が滅びるわけではない。まして日本は敗戦国である。「敗戦国」の生き延びる作法を学ぶべきである。


その時、政治的レベルと思想心情のレベルは分けて考えるべきだ。思想心情的な問題 、あるいは、歴史研究的・学術的問題の余地は残しておくべきだが、それを、政治や外交の舞台に持ち込むべきではない。「朝鮮人慰安婦の強制連行はなかった」とか、「朝鮮人慰安婦は売春婦だった」・・・とか言って、「政治家たち」が騒ぐことこそ、墓穴を掘ることになる。たとえ、それが真実だったにせよ、そのまま国際社会や政治的空間において、その議論が通用するはずがない。


河野談話」の見直しが行われようとしているらしいが、「藪蛇」にしかならないだろう。「朝鮮人慰安婦の強制連行はあったか、なかったか」は、こだわりたい人はこだわればいいが、政治的には、たいした問題ではない。歴史的な現実問題として「朝鮮人慰安婦はいた」のである。「朝鮮人慰安婦が不当な身分差別を受け、軍の管理下で買春行為を強制されていた」ことは、一時的にせよ、例外的にせよ、歴史的事実だろう。「強制連行はなかった」という議論で 、その事実を、歴史から隠蔽=抹殺することは出来ない。朝鮮人慰安婦問題を、政治問題として取り上げること自体が、朝鮮人慰安婦問題の「ホロコースト化」をもたらすだけだ。

(続く)




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