文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

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エセ右翼=百田尚樹への宣戦布告(2)『永遠の0』を読みながら、『保守論壇亡国論』的視点から「特攻隊」について考える。百田尚樹よ、「特攻隊」を、くだらない通俗的な戦争メロドラマで擁護するなかれ!!!

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 最近の保守論壇ネット右翼の間で、特攻隊が、ヒーローもののマ漫画やアニメ作品と同じレベルで取り上げられているようだ。特攻隊の悲劇を、思想的に重く受け止め、その思想を擁護することにおいては、僕も賛成だが、漫画やアニメの通俗的メロドラマ的レベルで擁護し、賛美することには同意できない。


戦前も、大正時代から、日米戦争を期待し、大衆の集合的無意識としての欲望と野心を掻き立て、戦争願望を喚起する通俗的な漫画や小説が氾濫していた。そしてその結果、指導者たちの洗脳によるだけではなく、一般大衆も喜び勇んで、日米戦争に突入していったという経緯がある。


百田尚樹の『永遠の0』を読んだが、何故、このような低俗な作品が、「売れる」のか理解できなかったが、よく読んでいくうちに、この小説が、大衆の欲望や野心や怨念を刺激し、戦争願望を喚起する要素をたっぷり含んだ大衆娯楽小説だということが、わかった。おそらく、漫画や劇画、アニメなどに通じるものなのだろう。普段、僕は、こういうメロドラマ的小説もヒーロー漫画の類を読まないが、こういう血湧き肉踊る戦争ヒーロー小説を読みたくなる無意識の衝動は僕にもないわけではない。


この『永遠の0』は、「大東亜戦争」や「特攻隊」を肯定するにせよ否定するにせよ、戦争そのものと真剣に向き合った小説ではない。大東亜戦争を背景に、戦争や戦闘を、面白おかしく描いた「冒険小説」「ヒーロー小説」である。僕は、今回は、安倍晋三百田尚樹の関係に興味があったので、資料的関心から、無理して読んでみただけである。


ちなみに、安倍晋三首相は、この小説を読んで、まじめに感動したらしい。信じられないことだが、安倍は、感動のあまり、作者の百田尚樹と雑誌で対談までやり、対談集まで出版している。しかも、百田尚樹NHKの経営委員に推薦。安倍の思い入れは本物である。というわけで、百田尚樹の『永遠の0』は、安倍政権の運命とも無縁ではない。


『永遠の0』は、意外にも特攻隊を、そのまま美化し、賛美しているわけではない。追い込まれた日本軍が最後にとらざるを得なかった特攻攻撃という戦術を肯定し、擁護しているわけではない。よく読むと、特攻隊の作戦を、無謀な戦術として批判し、否定した上で、特攻隊の兵士とその家族を美化し、賛美していることがわかる。


つまり、主人公「宮部久蔵」は、家族のために「生き延びたい、生き延びたい」と広言している空軍パイロットであるが、しかし、彼は抜群の操縦テクニックの持ち主で、漫画やアニメのヒーローのような「歴戦の勇士」なのだ。いわば、戦後的な価値観、家族主義的なヒューマニズムに基づく「お涙頂戴の戦争メロドラマ」でありながら、「歴戦の勇士」の「ヒーローもの」でもである。その家族愛に満ちたヒーローが、最後には、自分の命を代償に、家族や教え子を守るというわけだ。


一般庶民が、暇つぶしの読み物として感動するのはわからないでもない。だが、何故、一国の宰相ともあろう安倍晋三が、こんな安っぽい、お涙頂戴のメロドラマに、まじめに感動するのかわからない。安倍首相は、日本の文学や芸術というものが、よくわかっていないのではないか。言うまでもなく、日本の文学や芸術はこんなものではない。漫画やアニメでさえ、こんなに「安っぽい」ものではない。


安倍晋三首相は、『永遠の0』的レベルで、政治をやっているのではないか。ひと頃、政治家たちの愛読書は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』だった。そのころから、日本の政治の劣化は始まった。要するに、「尊敬する人物は坂本竜馬です」などとという政治家に、国の運命を託すことはできないのだ。しかし、安倍晋三首相の愛読書は、百田尚樹の『永遠の0』らしいのだ。安倍晋三首相と百田尚樹が意気投合し、対談集まで出す。これでいいのか。安倍晋三は大丈夫なのか。悪夢の再来?


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