文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

日本人よ、今こそヘーゲルとマルクスを読み直せ!!!・・・唯物論的転倒の哲学。


日本人はドストエフスキーニーチェが好きである。ドストエフスキーニーチェが好きだということは、物事を根源的に考えること、つまり物事を根底から深く考えることが好きだということである。最近、ドストエフスキーニーチェが密かにブームになっているらしいが、それは、決して偶然でも突然変異的現象でもない。日本人は、戦前、つまり昭和初期の頃は言うまでもなく、昔からドストエフスキーニーチェが好きだったのである。だからこそ、日本人は、欧米文化を全面的に受け入れることによって欧米化=近代化を実現しながら、欧米文化の根本的思考原理であるキリスト教という宗教だけは受け入れずに、排除・排斥してきたのである。ドストエフスキーニーチェは、欧米文化圏に属しながらも、欧米文化に満足せず、欧米文化の根底に横たわるキリスト教という宗教原理を絶えず問い直し、批判し続けた思想家であり、文学者だった。近代日本における最初の哲学者と言っていい中江兆民は、「日本に哲学なし」と言ったが、これは、日本人が、欧米文化の根本原理たるキリスト教を受け入れようとしなかったということと無縁ではない。ドストエフスキーニーチェも、欧米文化的な意味での「哲学」を疑った思想家であり、彼等にもまた「哲学なし」だからである。日本人が、ドストエフスキーニーチェが好きなのは当然なのてである。日本人が好きなのは、ドストエフスキーニーチェだけではない。ヘーゲルマルクスも、日本人は好きである。かつては、多くの日本人がヘーゲルマルクスを愛読していた。「ヘーゲルからマルクスへ」「ヘーゲル哲学のマルクス的転倒」「唯物論的転倒とは何か」が、日常的に左翼青年たちの間で議論されていたのである。左翼青年だけがヘーゲルマルクスを読んでいたのではない。戦前は、左翼思想に対置していた小林秀雄のような保守思想家にとっても、ヘーゲルマルクスは必読文献だったのだ。言い換えれば、日本の保守思想は、ヘーゲルマルクスの哲学との対決・論争の過程から生み出されてきたのである。しかし、いつ頃からか、日本人は、ドストエフスキーニーチェだけではなく、ヘーゲルマルクスも読まなくなったように見える。柄谷行人は、日本の官僚についても、「かつては、官僚志望の学生も、マルクスの『資本論』は、それに賛成するにせよ、反対するにせよ、読まなければならない必読文献だった・・・」というようなことを言っている。そして、「最近は、マルクスを一度も読んだことのない学生が官僚になっている・・・」と。確かに、日本人は、ヘーゲルマルクスも読まなくなった。ドストエフスキーニーチェだけでなく、ヘーゲルマルクスを読んだこともなく、ヘーゲルマルクスの名前すらろくに知らないような漫画家や芸人、スポーツ引退選手・・・が、何の恥じらいもなく、堂々と政治や経済、思想について語れる時代になった。むろん、ヘーゲルマルクスを読んで理解しろ、と言っているわけではない。ヘーゲルマルクスを読むぐらいの知的鍛錬、思想的トレーニングが必要だと言っているに過ぎない。僕は、これが、最近の日本人の思想的劣化、思想的衰退の根本原因だと考える。むろん、これは、思想的劣化や思想的衰退だけではなく、文化的、政治的、経済的・・・な劣化と衰退に直結しているはずである。たとえば、「小沢一郎無罪判決」について、漫画家(やくみつる)と新聞記者(倉重篤郎)とエコノミスト(浜規子)が、まったく瓜二つの意見と主張を、テレビや新聞で展開するという珍風景が、普通に見られるのが現代日本の思想状況である。テレビも新聞も、マンガ以下に成り下がっているのである。(続く)





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