文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

江藤淳は、何故、「政治家小沢一郎」の才能と資質を絶賛したのか? 

江藤淳は、今の若い人たちには知らない人も少なくないかもしれないが、かつて一世を風靡した文藝評論家にして政治評論家、保守思想家である。慶應義塾大学の学生時代、「夏目路漱石論」を「三田文学」に発表し、それが文壇内外で高い評価を受け、ほぼ同時期にデビューした石原慎太郎大江健三郎等と共に、一躍、文壇や論壇の若手スターとなり、世間の脚光を浴び、その後も、文藝評論家としてだけではなく、政治評論家としても「諸君!」などを舞台に、常に時代の先端を走り続けたオピニオン・リーダーであり、文壇や論壇の「台風の眼」であり続けた保守思想家だった。その江藤淳が、「政治家小沢一郎」の才能と資質に惚れ込み、かなり熱烈に絶賛したことは記憶に新しい。「それでも『小沢』に期待する」(「諸君!」)。ところで、「小沢無罪判決」を受けて、巨大マスコミに巣食う新聞記者たちは、気でも狂ったかのように「小沢一郎バッシング報道」を再開しつつある。おそらく彼等は、かつて、彼等の先輩記者たち、つまり巨大マスコミの新聞記者たちも、平伏していた思想家・江藤淳が、「政治家小沢一郎」を絶賛していたという事実とその絶賛した論文のことを、知らないのだろう。知っていたら、自分たちの書く文章の思想的レベルの低さ、無知丸出しの文章の貧しさに驚愕するはずである。では、江藤淳は、どのように「政治家小沢一郎」を絶賛したか。江藤淳の「小沢一郎擁護論」が、現在、見境もなく「小沢一郎バッシング報道」を繰り返す新聞記者たちのものと、思想的レベルだけでなく、政治家を論評する時の目の付け所が違うのは言うまでもない。現在、見境もなく「小沢一郎バッシング報道」を繰り返す新聞記者たちの思想的堕落とその文章の貧しさを浮き上がらせるためにも、繰り返しになるかもしれないが、江藤淳の「小沢一郎擁護論」の文章をあらためて引用しておこう。さて、毎日新聞の「編集室から」というコラムが、劇的な「無罪判決」を勝ち取った小沢一郎への批判・罵倒を、性懲りもなく、繰り返しているらしい。筆者は「倉重篤朗」。僕には、どう見ても、巨大マスコミのバカ記者の「負け犬の遠吠え」にしか見えない。「倉重篤朗」とかいうボンクラ記者よ、たまには、歴史に残るような品格と思想性のある「文章」を読んで、文章の書き方でも基本から勉強したまえ。

『派を割ってでも、あるいは自民党そのものを分裂させてでも、冷戦後の国際情勢等に対応しなくてはいけないと、小沢グループは考えているように見受けられる。そこには、はっきりした政策目標がある。』

『小沢氏というのは不思議な政治家で、要するに政策を実現することが第一義、そのために自分がいつ総理になるかは二の次の課題であって、現在、輿望を吸収出来る人物が羽田孜氏であれば羽田さんを担ぐ。誰が総理になるかならないかは二の次の問題、政策の実現こそが緊急の課題だということをハッキリと打ち出している人間が出てきたということは、戦後日本の政治史上まことに驚くべきことだと言わざるを得ない。』

『(小沢一郎には)改革者としての素地はあったのでしょうが、それが、具体的な政策として結実するためには、竹下内閣末期の地獄絵図と、湾岸戦争という戦後日本の最も危機的な状況に、心ならずも直面させられてしまったという二つの痛切な体験を経ることが必要だったのです。』
江藤淳『それでも『小沢』に期待する』  「諸君!」)

『日本の政界は、構想力雲のごときこの優れた政治家を、寄ってたかって潰してしまおうとしているのだろうか。それは嫉妬からか、反感なのか、はたまた“剛腕”を謳われた小沢一郎自身の、不徳のいたす所というほかないのか。』
江藤淳『帰りなん、いざ 小沢一郎君に与う』  産経新聞 九七年三月三日)

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