文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

浦和・須原屋で『江藤淳1960』を買う。中通りの「サンマルクカフェ」で読み耽る。プリンストン大学構内を散策する江藤淳夫妻の写真を見ていると、不思議な感動と哀しみが込み上げてくる。

中央公論社が、江藤淳関連の本を二冊出している。一冊は『江藤淳/吉本隆明対談集』、もう一冊『江藤淳1960』というムック本形式のアンソロジー。今日、浦和の須原屋本店にあったので、早速、買った。今、サンマルクカフェの二階で、アメリカンを飲みながら読み耽っている。ほとんどがすでに読んだことのあるものだが、改めて読み直していると、不思議な感動を覚える。「ああー、ここに自分の原点がある」と思う。今、江藤淳は忘れられている。無視されていると言ってもいい。だが、言うまでもなく、江藤淳は忘れられ、無視されてもいい存在ではない。「江藤淳」を忘れようとする力が論壇やジャーナリズムに働いている。江藤淳の名前を持ち出すと都合の悪い連中がたくさんいるはずだ。江藤淳没後10年が経過したわけだが、 その10年間は、まさに「日本沈没」の10年だった。今こそ「江藤淳」を読み直し、「江藤淳的なもの」を復活させなければならない時期に来ていると僕は思う。最近、「中央公論」が何回か「文学」を特集している。その編集意図が 僕には分からなかったが、「江藤淳」と関係しているらしいことが、なんとなく分かるが、その特集に出ている内田樹のヒドサには驚き呆れる他はない。12月号で、「江藤淳吉本隆明」について、高橋源一郎を相手に語っているが、そこで、日比谷高校時代に、先輩の江藤淳に原稿を依頼し、江藤邸に、原稿を取りに行った時のことを、批判的にというか冷笑的にというか、話している。要するに江藤淳が俗物でチンケな人物であったかのように語り、江藤淳を見下したがっているのである。この世代の「東大出身者」(?)特有の「語り口」である。当時、文壇、論壇で華々しく活躍していた文芸評論家・江藤淳に対して、苦々しく思いながらも、正面から批判できないために、個人的なエピソードを交えながら、間接的に批判、冷笑、罵倒するという「語り口」である。こういう下卑た語り口は、柄谷行人吉本隆明の世代にはない。全共闘世代、団塊の世代・・・あるいはそれ以後の世代に特有の、思想的無知無能を曝け出した、身の程知らずの語り口であると言っていい。たとえば、『江藤淳1960』にも収録されているが、加藤典洋四方田犬彦等の文章に典型的に見られる、江藤淳なんか歯牙にもかけないかのような、横柄な語り口である。四方田は、江藤淳からの「助手にならないか」という誘いを断ったというエピソードを披露して、いかにも江藤淳が俗物であり、自分はそういう俗物ではない・・・ということ言いたげである。しかし、僕は、こういうプライベートな、秘密にすべき個人情報をさりげなく暴露して、自分の優位性を保とうとする語り口に、四方田犬彦の思想的無知無能さと、羞恥心の欠如を、つまり俗物根性丸出しの精神性の低さを感じる。無論、彼等がそいう語り口をするのは、江藤淳の文学的才能と、その思想的恐ろしさをまったく理解していないからである。この語り口は、実は、転向保守・西部邁にも共通するものである。江藤淳を批判し、罵倒する者が共有する言説パターンがここにある。(続く)


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■浦和中通りサンマルクカフェで・・・。


プリンストン大学構内を散策する若き日の江藤夫妻。僕の慶應大学時代は「江藤淳になりたい」と思い続けた日々だった。


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