文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

塩見孝也論、あるいは連合赤軍論のためには三段階論が必要である。市民的道徳論、左翼的戦術論、存在論的美学的虚無論の三つである。僕は、無論、最後の存在論的美学的虚無論の立場である。換言すれば、ドストエフスキー・ニーチェ的存在論である。

塩見孝也連合赤軍を論じるのに市民的道徳論、左翼的戦術論が無用だというわけではないが、ただそれだけでは思想的に貧しいだろうというだけである。つまり、ドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』を 、市民主義的道徳論や左翼的戦術論で読んでもつまらないだろうということだ。僕が最後の存在論的虚無論、つまりニーチェドストエフスキー存在論にこだわるのは 、塩見孝也連合赤軍を論じるには、それなりの思想的 構えが必要だと思うからだ。というわけで、今日、雑誌『撃論』の企画で、塩見孝也さんに会ってきた。塩見さんは、現在、70歳だというが、いまだに頭脳明晰で、意気軒高、やる気満々だった。一部には批判もあるようだが、やはり人間的にもスケールの大きい人だった。マルクスレーニン毛沢東スターリンを語りながら、いつのまにか、演説口調というかアジテーション口調というか、声が大きくなるのだった。また、僕が、小林秀雄福田恒存江藤淳三島由紀夫のような保守思想家、保守系の文学者たちの影響を受けていると話したところ、塩見さんも、「自分も小林秀雄江藤淳はよく読んだ」と言い、ドストエフスキーのことを話したら、『悪霊』のフョードルやピョートル、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャなど、いわゆるドストエフスキー作品の主要な登場人物などを挙げて、熱く語った。市民運動から武装闘争へ、そして戦争宣言へという飛躍的な思考を展開した塩見孝也の革命的思考の原点に、政治や政治思想があることはもちろんだが、それ以上に文学・芸術的なロマンチシズムがあると、僕は判断した。「怖るべし、塩見孝也」という感じだった。「連合赤軍問題」も、あまり触れたくないと言いながらも、かなり踏み込んだ話をしてくれた。近く刊行される『撃論』(オークラ出版)を、是非、ご一読いただきたい。(続く)


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