文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

元赤軍派議長・塩見孝也氏との対談をすることになった。塩見孝也と言えば、70年前後の左翼過激派の象徴的名前であり、僕のような保守派にとっても忘れられない名前である。共産同赤軍派議長として過激な武装闘争を主導し、「よど号事件」として知られる「ハイジャック闘争」を指揮の途中で逮捕され、その後、長い獄中生活のために政治運動の表舞台からは消えたが、その存在は、左翼革命運動史に、いまだに燦然と輝いている。


来週、某雑誌の企画で、塩見孝也氏と対談することになった。「塩見孝也」と言えば、70年前後の左翼過激派の象徴的名前であり、僕のような保守派にとっても忘れられない畏怖すべき名前である。ブント分裂闘争を経て、関西ブントを中心に共産同赤軍派を結成し、議長に就任、過激な武装闘争を主導、「よど号事件」として知られる「ハイジャック闘争」を指揮の途中で逮捕され、その後、長い獄中生活のために政治運動の表舞台からは消えたが、その存在は左翼思想史に燦然と輝いている。僕は、学生時代から、市民運動レベルの学生運動でしかなかったべ平連や全共闘は嫌いであり、軽蔑していたが、塩見氏ら「過激派」の運動に対しては、それなりに一目置いていたし、深い関心を持っていた。僕が大学院にいた頃だったと思うが、塩見氏ら初期の指導者たちが逮捕されたり「よど号事件」で国外逃亡したりして、国内の革命運動の現場から消えた後、森恒夫をリーダーとする「連合赤軍」が結成されたが、森恒夫も塩見氏らの影響を深く受けいていたはずである。森恒夫等の「連合赤軍」は、いわゆる「連合赤軍事件」という左翼運動史上、前例を見ない凄惨なリンチ事件をおこし、運動体としては自滅していったわけだが、僕は、不思議なことかもしれないが、森恒夫が主導したと言われる革命的ラディカリズムが嫌いではなかった。むしろ、僕は、森恒夫とは同世代だということもあって、森恒夫の思想や行動には共感するところが少なくなかった。その後、「連合赤軍事件」を思想的に総括できなかった左翼陣営は、人畜無害の平凡な市民運動に舞い戻り、結果的に大衆からも見放され、空中分解したあげく、存在感を失っていったわけだが、僕は、「連合赤軍事件」を、ブルジョワ的倫理感覚でしか総括しきれなかった左翼陣営を軽蔑している。「連合赤軍事件」を描いた小説や映画もあるが、思想的レベルが低すぎて、僕はその種のものは全部、駄目だと思う。僕は、4月から学生たちと読み始めたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を、ようやく読み終えたところだが、塩見孝也氏らの「共産同赤軍派」やその流れを組む森恒夫等の「連合赤軍」の思想的総括は、ドストエフスキー存在論のレベルに立たない限り、無理だろうと考える。(続く)


塩見孝也とは誰か?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E8%A6%8B%E5%AD%9D%E4%B9%9F



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