文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

フクシマ原発事故報道をめぐってー「情勢論の言葉から存在論の言葉へ」(「山崎行太郎の『月刊・文藝時評』」「月刊日本」11月号)

■神は細部に宿りたもう。
 文芸誌と論壇オピニオン雑誌との違いは何処にあるだろうか。たぶん、ほとんどの人がそんなことは考えたこともないだろう。しかし、私が、あえて論壇オピニオン雑誌である本誌で、「月刊・文芸時評」なるものをやり続けているのは、その文芸誌と論壇誌との微妙な違いに注目し、その微妙な違いが、文学だけでなく政治や思想を語る時、見逃してはならないもの、不可欠のもの、本質的なもの、だと考えるからだ。日本の論壇やジャーナリズムでは、森鴎外夏目漱石のの頃から、あるいはそれより昔から、作家や文芸評論家と言われる人たちが重要な役割を担ってきた。小林秀雄福田恒存三島由紀夫…から、宮本顕治中野重治小田実大江健三郎まで。それは、やはり文芸誌と論壇誌との微妙な違いがあればこそ、であると思われる。では、その微妙な違いは、何処にあるのか。私は、先日、たまたま田山花袋の『東京震災記』なるものを読んだのだが、そこに田山が、こんなことを書いていた。震災記なるものはたくさん出ているが、そのほとんどが伝聞や聞き書き、あるいは意見や思想であり、現実そのものを「描写」したものは少ない、したがって、自分(田山花袋)が、これからやろうするのは、微力ながら、「震災」の現場を「描写」しようとする試みなのだ、と。東日本大震災の影響で、一部で関東大震災の記録が注目されたわけだが、そこで出てきたものも、結局は寺田寅彦芥川龍之介等、文学関係者の震災記だった。田山花袋の『東京震災記』もその一つである。田山花袋のいう「描写」とは何か。描写とは、言うまでもなく、現実を分析したり解釈したり、あるいは説明したり、説教するするものではなく、あくまでも現実そのものに肉薄していこうとするものだ。誤解を恐れずに言えば、フッサールの「現象学」の試みが、それに近いだろう。そこには道徳も倫理も、思想も哲学もない。その代わりに、ただ「事象そのもの」がある。われわれが、文芸誌に求めるものは、「事象そのもの」である。それが欠如した議論や論争は、無駄だとは言わないが、何処かに弱点を持っている。たとえば、柳田國男の「民俗学」は、理論や解釈も少なくないが、多くは資料や事象、出来事の集積、つまり描写されたものの寄せ集めに過ぎない。しかし、それが最後まで生き残るのであり、そしてそれが、我々日本人にとって無尽蔵の宝庫となるのである。「神は細部に宿る」という言葉がある。「描写」する精神にしか細部は見えないし、また表現することもできない。論壇オピニオン雑誌の言説の多くが、しばしば細部を見失っている。細部を見失うが故に、議論や言説が威勢がよくなり、全員一致の議論や言説が溢れかえることになる。そこで文芸誌の役割があると思われる。しかし、最近の文芸誌に「描写」や「細部」を期待できるだろうか。疑問であるが、私は、ひそかに読み続ける。私は、大論文や大小説よりも、短編や小さなコラムが好きだ。しばしばそこに、「描写的なもの」や「細部的なもの」を感じさせるものがあるからだ。たとえば、前にも取り上げたことがあるが、「文学界」の巻末に「鳥の眼・虫の眼」という匿名(偽名)コラムがある。最近、私がもっとも注目している文章だが、こういう短いが、過激な文章が、匿名でしか発表できないところに最近の文芸誌の思想的衰弱、さらには日本全体の思想表現の衰弱を感じないわけにはいかない。今月号でも、「フクシマの論じ方」を論じているが、私が読んだあらゆる震災論、フクシマ原発論を超えている。関沼博の『「フクシマ」論  原子力ムラはなぜ生まれたか』(青土社)を取り上げて、こう書いている。
  ≪今日、フクシマを巡って語られることのむ大半は、大江健三郎さんが呼びかけた脱原発デモに代表される原発の安全性の議論、つまり原発エス原発ノーかの二項対立であり、危険と隣り合わせの原発を受け入れた福島の苦渋の歴史に見合った分析をしているのは、この本ぐらいしか見当たらないからだ。福島第一原発の事故以前から、「福島と原発」の歴史を着実に調べ、当事者の話を聞き、「中央」の事情によって翻弄されてきた福島を見つめてきた著者は、今日の想像力のありようについて喝破している。≫(「文学界」11月号)
 大江健三郎という文壇、論壇の「権威」を揶揄し、批判しつつ展開する、こういう文章に接すると、さすがに「ほっ」とする。文芸誌も、まだまだ捨てたものではないと考えるからだ。「原発エス原発ノーかの二項対立」の論争や議論こそ、細部を見ない、つまり細部を描写しようとしないからこそ沸き起こる「大きな議論」である。さらに、匿名氏の文章は続く。
  ≪中央の人間は<この放射線という不可視なものがどれだけ自分に害をおよぼすのかが知りたいだけ><これがもっと早く収束していたら、福島よりも東京から遠いところで起こっていたらここまで騒ぎはなっていなかった。どうせ時間が立ち、火の粉が気にならなくなればニワカは一気に引いていく>とし、<福島もまた忘却していくことは確かだろう>と予言する。ことの熱狂が収まれば、沖縄の基地問題と同様に、福島もまた、「中央」から忘れられていくのだ。このもの悲しい予言には、リアティーがある。(中略)だから、著者は、原発の安全性に疑問符を叩きつけつつ、こう断言する。<原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない>と。≫
 リアリティーがあるのは、この文章である。この匿名コラムの筆者は、関沼博の『「フクシマ」論』を引用しつつ、自己を語っている。私は、関沼博も、『「フクシマ」論』もよく知らないが、このコラムから、全てを知りえたという思いがする。この匿名コラムの筆者の思考力は、細部に届いているが故に、私を刺激するのだ。
池澤夏樹の言葉は「美しすぎはしないか?」 
 次に、この匿名コラム氏は、芥川賞選考委員でもあった池澤夏樹の営業用の「美しすぎる言葉」を、鋭く批判する。この匿名氏が、匿名とはいえ、かなり深く物を考え、しかも大胆に相手の名前まで挙げて、徹底批判できる人物であるということが、わかる。
  ≪池澤夏樹さんは新刊『春を恨んだりしない  震災をめぐって考えたこと』(中央公論新社)で、<理想論は言葉を信頼し、現実論は権力や金に依る>とし、原発の速やかな停止を主張する。しかし、金はくらしでもある。また同書では、津波の被害にあった大船渡の医師のことばを感動的に紹介している。<たくさんの人の罹災の話を聞いたけれども、「なんで俺がこんな目に遭わなければならないのか?」という恨みの言葉にはついに出会わなかった。日本人は、東北人は、気仙人は、あっぱれであると山浦さんは言う>。これはイラク戦争の直前に池澤さんがイラクの民について語った<実に明るい人たちだ。しかもおそろしく親切>(『イラクの小さな橋を渡って』から)という表現と同じく、美しすぎはしないか。≫
  池澤夏樹に向かって、言葉が「美しすぎはしないか。」と書く筆者に、私は、あらためて驚嘆する。たとえば、私は、「実存は本質に先立つ」というサルトルの言葉や、「道徳や倫理は、弱者の罹る病気だ」というニーチェの言葉を、高校生の時、読んで感動した経験があるが、しかし、さらに感動したのは、それらの言葉を声高に語り、解説していた学者や思想家、文学者たちが、ひとたび、目前の現実の場面になると、あっさりと「善良な市民」になり、通俗的な道徳や倫理を語り始めたことだった。つまり、原理原則論と具体的な生活レベルの思想とが分裂しており、思想に一貫性がなく、生き方に自己統一性がないことだった。言い換えれば、「実存は本質に先立つ」とか、「道徳や倫理は弱者の罹る病気だ」という言葉を、ぜんぜん理解できていないということである。今、大震災や原発事故に直面して、多くの学者、思想家、文学者たちの日ごろの言動が、果たして本物だったのか偽者だったのか、試されていると言っていいわけだが、池澤夏樹に代表されるような、戦争や大事故や大事件が起きると、すぐに現場に直行する「押しかけ文化人」の自己欺瞞的な実態は、この「美しすぎはしないか?」という一言で喝破されている。さて、この匿名コラムの筆者は、最後を、こう締めくくっている。
  ≪他者の痛みを想像することは大切だ。しかし、それは被災者を美化したり、被災した福島は「原発マネーに溺れた」などという紋切り型で見ることではない。他者の歴史と現実への洞察を欠く想像力は独りよがりだ。≫
 「なるほど」と思うが、しかし、こういう言葉は原理原則論であって、誰でも言えることである。問題は、この言葉を目前の具体的な場面で、特定の誰かの言説をつかまえて、「それはおかしいのではないか?」と堂々と言えるかどうかである。我々が、感動するのは、そういう批評や言論が出来る学者や思想家、文学者に出会った時である。ところで、ノーベル賞候補になっていると騒がれていた村上春樹だが、受賞にはいたらなかったようである。まことに「メデタイ」ことである。聞くところによると、嘘か本当か知らないが、日本で唯一のベストセラー作家・村上春樹の批判や悪口を書いたり、発言したりすると、文芸誌からお呼びがかからなくなるそうである。商売道具にケチをつけるな、というわけだろうか。そう言えば、近頃、文芸誌で批評を書く人は、加藤典洋を筆頭に、たいがい村上春樹賛美論者である。これは、文芸誌の思想的、文学的精神の衰弱以外のなにものでもない。そうした中にあって、「文学界」の巻末にある「鳥の眼・虫の眼」は、匿名(偽名?)とは言いながら、大江健三郎池澤夏樹の言説の細部を取り上げて、堂々と誌面で批判し、揶揄するのだから、貴重であると言わなければならない。




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