文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記1(1) 』です。

小沢一郎は田中角栄ではない。という陳腐な小沢批判が週刊誌などマスコミに氾濫し始めている(立花隆、田崎史郎・・)。当たり前ではないか。小沢一郎は田中角栄の「失敗」から学んだのだ。田中角栄の「失敗」を繰り返すはずがない。

小沢一郎暗黒裁判と並行して、週刊誌などで小沢一郎批判が繰り返されているが、それが、なんと「小沢一郎田中角栄ではない」「田中角栄はマスコミ批判や裁判批判はしなかった」という陳腐な小沢批判、これまでも何回となく繰り返されてきたステレオタイプな小沢批判であるところをみると、いよいよ、小沢批判派も、小沢批判の材料がなくなってきたことを示しはじめている、ということが出来る。言い換えれば、追い詰められているのはマスコミや検察、裁判所であって小沢一郎ではないという事が、多くの国民の眼にも明らかになりつつあるということである。確かに田中角栄は、日米両国をまたにかけた「田中角栄潰しの謀略」が存在することを薄々感じながらも、決して検察批判や裁判所批判、マスコミ批判・・・はしなかった。あくまでも、検察や裁判所の公正性や中立性を前提に、裁判で無罪を勝ち取ろうということに専念した。当然、マスコミ批判もしなかった。しかし、それは、マスコミをも巻き込んだ「田中角栄潰しの謀略」の前では、無力であらざるをえなかった。明らかに小沢一郎の場合は違う。小沢一郎の場合はかなり早い段階から、「小沢一郎潰しの謀略」が、マスコミや官僚、検察を巻き込んで、組織的に進められつつあることが、小沢一郎にはもちろんのこと、多くの国民の眼にも、わかっていた。だからこそ、検察批判やマスコミ批判を前面に打ちだした、異例とも言うべき「小沢一郎支援デモ」が繰り返されてきたのである。日本国民の中にも田中角栄支持者は少なくなかっただろうが、しかし「田中角栄支持デモ」は起きなかった。立花隆よ、田崎史郎よ、本当に「マスコミ批判はしなかった」、それ故に「田中角栄は偉かった」と言いたいのか。田中角栄を持ち出すことで、小沢一郎を貶めたいだけではないのか。(続く)


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