アメリカの「日本マスコミ支配」の起源は何処にあったか?日本のマスコミは、GHQ、CIA、そして在日米軍の管理下にある。日本の新聞やテレビは、戦後の進駐軍による日本マスコミに対する「発禁・検閲」の衝撃がトラウマとなり、アメリカの顔色を窺う「従米属国路線」を運命づけられて、現在に至っている。
江藤淳の『閉ざされた言語空間』の偉大な業績は、米占領軍による日本の新聞を中心にマスコミへの「発禁・検閲」という占領政策の一環としての情報工作、つまり「言論表現の自由」を奪うという歴史的事実があったということを、アメリカ本国に残された資料を調査・分析することによって実証的に明らかにしたことだけではない。それよりももっと重大な業績は、米占領軍の発禁・検閲が、あたかも発禁・検閲という事実がなかったかのような装いのもとに、つまり言論表現の自由が確保されているかのような装いのもとに行われたという事実を指摘したところにある。戦時中の日本は言論表現の自由はない非民主主義国家であったが、戦後日本は言論表現の自由が保障された民主主義国家になったのだという、ほとんどの日本人がそう思い込んできた定説が、実は幻想であり捏造された物語であったという事実を明らかにしたのが江藤淳の偉大な功績である。確かに戦前の日本には「新聞紙法」(明治42年、1909年5月公布)、「出版法」「言論集会結社等臨時取締法」などによる検閲が存在し、完全な言論表現の自由は保障されていなかったが、しかし言論表現の自由が保障されていないこと、つまりある場合には発禁・検閲という事実が存在することは隠されておらず、それは公然と表明され明文化されていた。しかし、戦後はどうだろうか。戦後になって、我々がそう思い込んでいるように、言論表現の自由という権利が確立したのだろうか。確かに、日本政府が受諾した「ポツダム宣言」には「言論表現の自由」について、次のような記述がある。
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ
(「ポツダム宣言」)
おそらく、多くの日本人は、ここに書かれている「言論、宗教及思想ノ自由」を、「言論表現の自由」と受け止めたであろう。しかし、米占領軍は、1945年9月27日付けの「新聞と言論の自由に関する新措置」(scapin-66)で、従来の日本の法「新聞紙法」などの言論の自由を制限してきた法律の即時停止を命じた。同時に、この「新聞と言論の自由に関する新措置」(scapin-66)で、米占領軍は、連合国最高司令官の名のもとに、新しい「発禁・検閲」を開始を宣言したのである。以後、日本の新聞をはじめとするマスコミは、日本政府の管理下から米占領軍の管理下、つまり米占領軍の検閲を受けることになったのである。しかし米占領軍による検閲の存在と現実は、一部のマスコミ関係者しか知りえないように秘匿された。日本の新聞、マスコミが決してその「米占領軍による検閲」には触れようともせず、一種のタブーとなったからである。
戦前、戦中の「出版法」「新聞紙法」「言論集会結社等臨時取締法」などによる検閲は、いずれも法律によって明示されていた検閲であり、非検閲者も国民もともに検閲者が誰であるかをよく知っていた。タブーに触れないことを意図していたのである。しかし、アメリカの検閲は、隠されて検閲が実施されているというタブーに、マスコミを共犯関係として誘い込むことで、アメリカの意思を広めることを意図していた。
(江藤淳『閉ざされた言語空間』文春文庫P)
検閲者・米占領軍と被検閲者・日本のマスコミ関係者との共犯関係・・・。江藤淳は、検閲の史実を論証しただけではなく、さらに検閲者と被検閲者たちの心理構造、そして深層心理まで抉り出している。
ここで看過することができないのは、このように検閲の秘匿を強制され、納本の延期について釈明しているうちに、検閲者と被検閲者とのあいだにおのずから形成されるいたったと思われる一種の共犯関係である。/被検閲者である新聞・出版関係者にとっては、検閲官はCCDかCI&Eか、その正体もさだかではない闇のなかの存在にほかならない。しかし、新聞の発行をつづけ、出版活動をつづけるというほかならぬそのことによって、被検閲者は好むと好まざるとにかかわらず必然的に検閲者に接触せざるを得ない。そして、被検閲者は、検閲者に接触した瞬間に検閲の存在を秘匿する義務を課せられて、否応なく闇を成立させている価値観を共有させられてしまうのである。/これは、いうまでもなく、検閲者と被検閲者のあいだにあるタブーの共有である。この両者の立場は、他のあらゆる点で対立している。戦勝国と敗戦国民、占領者と被占領者、米国人と日本人、検閲官とジャーナリストーーだが、それにもかかわらずこの表の世界の対立者は、影と闇の世界では一点で堅く手を握り合わせている。検閲の存在をあくまで秘匿し尽くすという黙契に関するかぎり、被検閲者たちはたちどころに検閲者との緊密な協力関係に組み入れられてしまうからである。
(江藤淳『閉ざされた言語空間』文春文庫P221)
検閲者・米占領軍と被検閲者・日本のマスコミ関係者との共犯関係・・・。今、「小沢一郎事件」と「小沢一郎暗黒裁判」という限界状況的現実を前にして、はじめて、我々は、江藤淳が『閉ざされた言語空間』で言っていたことが歴史的事実であり、思想的現実であることを理解できるようになったと言っていい。新聞やテレビを中心とする現在の日本のマスコミは、朝日新聞も産経新聞も、「小沢問題」に直面して、何故、奇妙に「全員一致の言説」になってしまっているのか。つまり朝日新聞も産経新聞も、「小沢事件」報道や「小沢一郎暗黒裁判」擁護論ということになると、不思議なことにまったく区別がつかなくなるのだ。何故か。それを探っていくと、江藤淳が『閉ざされた言語空間』で抉り出した米占領軍による発禁・検閲という問題、そして発禁・検閲という事実を隠したという問題にたどり着くだろう。日本の新聞やテレビは、つまり日本のマスコミ全体が、左翼も右翼・保守派も、あたかも飼い慣らされた犬のように、「米国」というと、無意識のうちに、あるいは本能的に「従米路線」に変身するのである。それは、敗戦直後の米占領軍が日本のマスコミに対して行った発禁・検閲という問題を抜きには考えられない。ネットを中心とする新しい世論が、「小沢一郎暗黒裁判」批判を展開しつつあるのも、そこに原因がある。言うまでもなく、「ネット」や「ネット論壇」「ブログ論壇」には米占領軍による発禁・検閲のトラウマがないからである。(続く)
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